「まちなか市場」24・25日開催

   

まちなか市場、朝市バージョンを開催が開催されます。8時から12時まで、平井書店の並びに10数軒出店します。あしがら農の会は、公民館前、笹村農鶏園では玄米卵を販売します。是非ともご購入ください。普段は宅配のみで、営業していますが。本来、いつでもどかかで売っているようにしたいものだと思っています。なかなか、お店をやるところまでは無理なので、今のところは「まちなか市場」で売らせていただき、新しい形を模索しているところです。まちなか市場が「定期市」化するという考えもあるのですが、それだけがやり方だとも思っていません。街の機能とは何か。このことを良く良く考えてみる必要があると思う。地域のこれからの暮らしの中で、街というものがどうあるべきか。これが見えなければ、それにふさはしい農産物の販売形態は見えないでしょう。

商店という形が、今後も継続するとは限りません。無店舗販売が伸びてきています。何故、無店舗かという意味も、考える必要があります。商店が集積している便利さで、街は形成され広がってきた。多分その集積は特別便利ということではない。昭和30年までは、歩いて買い物が普通のことだ。山梨の山村では街に行くということが、とても珍しい買い物の機会だった。大半のものを自給していたのだから、街まで買い物に行くなど、特別の機会で、靴を買うとか、洋服を買う、農具。塩。酒。念密に計画がたてられたうえでのことだった。甲府の岡島さんまで歩いてゆく。何時間も歩いた記憶がある。途中、笛吹川で泳いだり。砂あらの親せきによって西瓜を食べたり、病院でお見舞い。暑いから思い出すのだろうか。街がなければ暮らせない山村の暮らし。

車社会と宅配便の普及。商品の氾濫。インターネット社会。街中の意味も、山村の意味も変わってきた。暮らしに不便だから、消えてゆく山村の集落。しかし、この不便も昔の比ではない。便利というものの水準が変わってしまった。楽な方へ楽な方へと販売側がサービスを変貌させる。どこに暮らしているにしろ、買ってくれて商売になるなら、サービスのほうが手を回してくれる。まちなか市場を企画している、平井書店さんには申し訳ないのだが、我が家では書籍はほとんど、インターネットで買っている。本屋さんに行っても注文になるような本だとわかっている。送料はサービスだし。出かければ、2度手間になるし、ガソリン代、駐車料金まで必要になる。本屋さんで本を見ながら選ぶ楽しみも、ネットで本を調べる楽しみと、そうは変わらない。では街でなければならない、どんな魅力を作り出せるか。いぜん、小田原では、お茶を飲み、話が出来る商店。というのは企画された。その後続いているようでもない。

街の電気屋さんが、家電量販店になり、ネット通販になる。これはさらに進むと考えるべきだ。何が街に必要で、生まれて来るか。商品の販売機能は終わり、街ではサービスそのものが売られるようになる。酒飲みが、家で飲んで済むのに、飲み屋に行くのはサービスを買っている。ものならそこに行かなければ買えないものに限定される。そうしたものはむしろ場所を選ばない時代が来る。サービス関連でも郊外型と対抗したのでは、街中が不利。「まちなか市場」は地場の産品を看板としている。玄米卵は「まちなか市場」でなければ買えない。松本さんのトマトは、農の会のキューリは「まちなか市場」だから買える。こうしたことを販売するのも生産者、という形で、食べる人と出会える場になればと思う。

 - 地域