宮崎の口蹄疫

   

口蹄疫の流行地域から、種牛6頭の移動が行われた。特例措置というが、どういう特例なのか良くわからない。笹村農鶏園でも、笹鶏という種鶏がいる。これは特例で移動させてもらえるだろうか。もし、この地域でトリインフルエンザが起きた時に、たぶん有無を言わせず、全淘汰となるだろう。このことをどう考えたらいいだろうか。宮崎でも同じ思いがあったに違いない。6頭の貴重な種牛だけは残したいと考えたのだろう。その気持ちは分かるが、行政自身がそう言う事をしてしまった前例は、重大である。当然、私に命令が下ったとき、宮崎の特例を主張するだろう。実は、トリインフルエンザノ兆候があれば、卵を隠そうと考えていた。山に穴でも掘って、そこに埋めて置く。ほとぼりが冷めたころ、掘り起こして孵化すれば良い。そう思っていた。それは、命に代えても種鶏を守る必要があると考えていたからだ。

今はそれほどその思いは強くない。笹鶏の作出は失敗だったと思っているからだ。段々歳を取って、反逆心が萎えたと言う事もある。そこまでやっても馬鹿馬鹿しいと言うような気持ちだ。笹鶏はもう赤系統は20年近くの交配だろう。大館の大工さんをお訪ねして、種卵をわけていただいた所から始まった。その比内鶏はとても、元品種の特徴を残しており、小さな鶏であった。今は肉用と言う事でシャモのように大きな鶏になってしまった。ただ、欠点もあって、笹毛に黒状線が出ないところであった。笹鶏の笹はこの笹毛に黒状線が出る鶏と言う事である。笹村の笹ではない。赤系統はこの鶏にロードアイランドレットをかけたものである。これは岩手の畜産試験場から戴いたものである。兄からもらったわけではない。私の所に研修に来た方が、卵を持ってきてくれた。しかし、それだけを交配したのではない。あれこれ初期にかけている。

この笹鶏赤系統から、笹鶏白系統を作るために、ヤマギシの有精卵を孵化した、サセックス系の鶏と思われるものを交配した。この分離は10数年前となる。赤系白系の2系統を維持して、系統間交配で、雑種強制を行い、実用的に利用している。今も続けてはいるのだが、少々未来が無いことに気付いて、いまは毎年というのは止めにした。つまり、3系統を別飼いにして、維持する負担が大きすぎる事である。20代も近親交配を続けているのだから、笹鶏の純系は産卵率も極めて低い。当然の事である。この産卵性の低いものを維持し続けるのが、経済としては不可能という壁にあたった。こう言う事を食べる人に押し付けていいものだろうかと言うのがある。手掘り牛蒡の論理である。生産者のいわば趣味のようなものを、消費者に押し付けていいのか。確かに押し付けるべきなのだが、自分の心がそこまで強くない。

宮崎の口蹄疫は押さえ切る事が出来ないように、広がりを見せている。しかし、ある意味心配はない。広がるだけ広がれば収束する。今人間が動き回って広げている可能性が強い。どれだけ、消毒しても人間の身体の中は消毒できない。人間がウイルスを一時保有する。このリスクを考えるべきだ。茨城のトリインフルエンザの時も、結局うやむやにされたが、厚生省の発表では明確に指摘されていた。この情報が今は無いのは、これが表ざたに成ると、保証の問題がこじれるからではないかと推測している。宮崎の牛飼いの人達の悲しみは深いだろう。種牛だけでもという気持ちは良く分かる。しかし、肉を食べるのを止せば良いだけの事だ。ついこの前まで、4つ足は食べなかった。食べなくても別段大丈夫だ。私は僧侶だから戒律的にも、食べないと言う事か。

昨日の自給作業:種蒔きなど3時間 累計時間:22時間

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