路上生活者の訪問活動
ピースウォークfrom沖縄の皆さんが、小田原に見えた機会に三つの事を行った。一つは市長への平和アピール。市長は平和に対してとても積極的な姿勢と思いがあった。市民が小田原らしい平和活動を動き出さなければならない事を、痛感する所となった。二つ目が平和を思う農作業。農業と平和の連なりをそれぞれが考えるきっかけになった。そして三つ目が路上生活者パトロール活動。ただパトと呼ばれることもあって、不思議な言葉だが、定着した言葉となっている。Takeさんが小田原で始められ、長年続けている活動である。パトロールに直接同行させていただくのは、始めての事であった。暮らしている場所は全て知ってはいる。その昔、最小限の家を考える時何度も伺った。その後も、時々訪ねることもある。ただ、今回のようにパトロールという形では、初めての事だ。訪ねて、一番ビックリしたのは、ずいぶん減っていることである。
以前、10軒も立ち並んでいた所に、2軒とか。すっかり居なくなった所もあった。Takeさんや、マゴサンは毎週伺う。対応が一軒一軒で違う。「〇〇さん」と少し遠くから声を掛けながら、何度も「何さん、何さん」と呼んでも反応がなくて居ないのかと思うと、実はとくには返事が無いのが普通のようで、そのままどうですか。と世間話をしている。話すというよりは、話しをしてもらう感じだ。それから、今日は沖縄から、平和を願って歩いてきた人が居るので、ということで皆さんからと、おにぎりやゆで卵を食べてもらうように手渡す。そこで、石橋さんは沖縄から歩いてきました。という訳だが、どうも受け止め方は、さすがに少し違う。それは大変でしたね。という感じでは当然ない。皆さん歩き続けている人である。平和の為に歩いていること。それを人生にしているような、石橋さんと路上で暮らし続ける人と、何がどのように違うのか。見当違いのようではあるが、生きる本質のような事が、生にぶつかる姿を見た。
小田原では路上生活の人が減っている。100人を越えていたこともあるそうだ。それが、30数名ではないかと言う事だ。。そのこと自体は良い兆候ではあるのだが、不可視化してきているという声もあった。行政の対応が改善されて、生活保護を受けやすくなったことがあり、アパートに入りやすくなったそうだ。受け入れてくださる大家さんの理解というものも深まった。かえって孤立化して孤独死と言う事もある。また言い方は悪いが、小田原がそうと言う事ではないが、行政が、ある種のNPO受け入れ組織に送り込んできたと言う事もある。もう一つは、マンガカフェやインターネットカフェでの仮眠生活。路上生活している人は、それなりの生活術を身につけた人だ。空き缶を拾って、お金に換えるといっても、条例違反である。とても難しくなっている。なるほどという形で乗り越える力がないと、路上では当然暮らせない。10年以上もそうして暮らしている人も居る。
皆さんの共通の特徴は優しい人である。この世知辛い社会では優しいは弱いと言う事でもある。ともかく繊細な人が多い。花壇を作る。家庭菜園もある。ミレーの祈りの絵を飾る。生き物と一緒に暮す。暮らしは整えられている。ブルーシートの利用が特徴ではあるが、その他の素材も上手く工夫して暮らしている。自炊生活だから、不衛生にしてしまう人には、出来ない暮らしでもある。こざっぱりしている。街で会えば、普通の人。普通の人はさらに不可視化を進める。社会保障費の増大。低所得世帯のうち約3割が生活保護を受けていない現実。生活保護世帯の自殺率は2倍である。格差社会の深刻さは解決の方向どころか、社会そのものを崩壊させる要因になり始めている。パトロール後の配って、余ったおにぎりを食べながらの話し合いは、とても深刻なものになってしまった。