ツイッターの流行
ツイッターとかいうものが話題である。アメリカではこれがニュースの変わりになり始めているらしい。日本でも鳩山首相がやっているとかで、話題になった。見たことも無いが、気楽に本音がしゃべれるのがいいという事らしい。ブログとどう違うのかとは思うが、「日記とおしゃべり」の違いだとすると、おしゃべりは直接の方がいい。絵を描く人間だから、見てと言う事に重きがおかれる。ともかく見てみる。見て始め、見ながらやる。「何でも見てやろう」小田実世代と言う事だろうか。やって見なければ解らないと言うのと、見てみなければ解りゃしない。どの程度違うのか。絵を鑑賞してわかる。と言うのと、絵を描いて解ると言うのでは、解り方が違う。まず、見てみる。そして次にやってみる。それから調べる。こんな順番で、ことが進んでゆく。見ないでするおしゃべりか。
田んぼを作る。田んぼという物を見て歩く。そして斜面を切り崩して、田んぼを作って、耕作を始める。そして、面白かったら稲作の事を調べる。そして試行錯誤が始まる。調べると言えば書物と言うのが、旧世代の特徴で図書館に行く。本を買う。そして、試してみる。この中に、人から教わると言うのが無いのが、ある意味反骨である。人に教わるのは自分のやり方が見えてきてからである。全てが見るから始まる。そして、やってみる。やってみて失敗しながら自分流が出来てから、初めて人のやり方から学ぶ。学んだものを繰り返しやってみて、自己流と合体させてゆく。この進み方は、養鶏でもそうだった。ともかく気が付いたときには鶏を飼っていた。子供だから、めちゃめちゃであるが、ひよこが勝手に出てきたりした。そうして失敗するので本を読んだ。やっている人に聞きに行くと言う事はしなかった。そのやり方が良いというのではない。そういう方法もあると言う事。
絵でもそうだった。ただただ、描いていた。10歳ぐらいから絵は意識して描いていた。勝手に描いていた。習うと言うような環境でもないし、絵を描くと言う誰でもやれるようなことを、教わるようなものと気付く事もなかった。中学生3年生の時に石工デッサンという物を始めて、これもまるで自己流で勝手にやっていた。そのころ、ピカソ子供時代の足のデッサンを見て、同じ年なら俺の方が上手いと思った。このころは、ルーブル展できた「大工のヨゼフ」ラ・トゥールに参った。あんな絵を描く人間がいた所に行ってみる必要がある。いつかナンシーに行ってみようと思ったわけだ。その後絵をずいぶん描いた訳だが、本当に教わったのは、春日部洋先生にお会いしてからだ。描きだしてから30年は経っていた。
何故、ツイッターからそんなことを思ったかと言うと、今何かをやろうと考えると、例えば塩作りをやろうと考えたら、インターネットで調べるだろう。本を買うより、そういう人が多いいと思う。何年か前に池作りをしようと思ったら、インターネットで調べるだろう。「池の作り方」で調べれば何万もの情報が存在する。どんな書物より実用的である。書物で出来た活字文化がインターネットで終わると言う事。しかし、ブログのように活字文化の流れのままのものもある。私はそれだろう。しかし、ツイッターがおしゃべりなら、おしゃべり文化というものは昔からある。茶飲み話。茶飲み友達。昔の人は良くおしゃべりをしていた。おしゃべりを楽しんでいた。漬物の消費は食事より、茶飲みの時が主だったはずだ。ずいぶん時間をかけて、おしゃべりを楽しんでいた。今見たことを、他の人に色々脚色してしゃべった。しゃべりながら確認し、お互い種蒔きの様子などを確認していた。ツイッターが忙しい時代の、新しいおしゃべりなら、面白い。