塩を作ってみよう
塩が作れれば、ほぼ食の自給は完成する。塩は一度は作りたいとは、以前からふつふつと思っていた。作りたいといえば、砂糖とか、綿とか、まだまだあるわけだが、塩はどうしても超えなくてはならない、大きなハードルである。赤嶺さんは「なずなの塩」を作っている。以前、田中さんがあしがらに移ってきた時に戴いたが、とても美味しい塩だった。素朴な天日塩である。塩は一年でどのくらい使うものだろう。醤油、味噌で4キロ。そのほか月に500グラムとして、我が家では年間10キロぐらいは使っているようだ。海水の3,4%が塩と言う事だから、海水の量で300リットルぐらいか。どのくらい手間がかかるものか、一度試してみたいものだ。ためしでなく一度はやってみる必要があることだ。この前塩水選でもらってきた海水が、60リットルだから、ポリバケツ5杯と言う事は、いつももらってくるおからの量くらいだ。出来ない量とも思えない。
静岡の清水港には海洋深層水が分けてもらえる施設がある。100リットル100円とあるから、300円で年間の塩は自給できるのだ。素晴しい。もちろん、どこの海で汲んで来ても無料である。300リットルの海水を煮詰める。中釜を2個用意して、150リットルづつ煮詰めてゆくとして、24時間ぐらいかかるものだろうか。大豆を煮た感じでは、案外短いのではないかと思っている。10時間でやれるとふんでいるが。150リッターが蒸散してゆくのに、6分1リットルで15時間。いずれ時間がかかるにしても、2日がかりであるにしても、塩の自給も体験しておく必要はある。こんな馬鹿馬鹿しい事をやろうなどと言う人間は極めて少なかろうと思われるので、これは一人でもやる気でいる。どうしてもやって見たいという人がいたら、やって見ましょう。海水入手に1日。煮詰めるのに1日か2日のプランになる。
昔と違うのは、燃料がふんだんにあること。ふんだんとは燃やさなければならない製材端材があちこちで出ている。普通は産廃として焼却されている。それよりは燃料に使えば生かしたことになる。今回は、石楠花の家を作ったときの製材端材がまだある。昔は燃料には苦労した。生活が薪であれば、燃やせるものの捨て場に困るなど考えられない。一年に使う薪の量は、木小屋の大きさである。山梨の山村で1間半の2軒ぐらいの面積が多かったと思う。この小屋にぎっしり一杯である。エネルギーの自給には、12月の半分は費やした。大人も子供も出て100時間は費やした。自給時間からすると1年の20%ぐらいは山仕事であったのだろう。この100時間の山仕事が、里山の手入れである。小さな集落の100人100時間、ずいぶんの手入れが山に入っていた。切り出した木を引き出しているうちに道も良くなった。
と言っても塩作りは、海の近くの分業である。今ではどこの水でも良いとは言いがたい。小田原港の海水塩では、自分の流しているものがもろ入っているようで、想像すると使いがたい。駿河湾も良いとは言えないが、海洋深層水ならまだ使えそうだ。こうしてみると、江戸時代の暮らし方がいかに優れているかが分かる。全てを循環するためには、汚さない知恵が無いと、回らない。燃やして処理するような発想では、忽ち滞る。空き缶一つ、広告ビラ一枚。誰も捨てなかった。それがそれほど前の事ではない。私が塩作りの燃料にしようと言う、バタ材で木小屋はできていた。何故か柱の木組みは必要以上にしっかりしていたが、一部の壁に張られていたのはバタ材だった。塩作りにいよいよ取り組めると言うのは、少し余裕ができてきたと言う事かもしれない。自給の楽しみである。