スズメの居ない時代

   

都会ではスズメが減って困るというような事が話題になるらしい。スズメが減って有り難いが、農村の普通である。スズメにどれだけ痛めつけられてきたことか。まったく人の気も知らないで、とあえて思う。スズメは昔は小学校で、害鳥と習った。ツバメが益鳥である。スズメが減った理由を田畑の減少と報道の人は想像しているらしい。都会人らしい想像力欠如である。そんな簡単な原因ではないことは確かだ。お米がいよいよ収穫というときに成ると、一斉に寄ってきて貪り食う。食べる田んぼがそこまで減ったわけではない。田植えをすればすぐスズメが心配になる。スズメとは戦いである。コムギだってそうだ。痛い目にあってしばらく止めていたほどだ。。何年前かに集中してやられて、田んぼに行くのを止めた年がある。その被害は半減になるほどである。これは偏見かもしれないが、無農薬のお米が好きなようだ。被害妄想かもしれない。近所の畑には行かない気がするのである。畑が「緩んでいる」のが分かるのかもしれない。

毎年案山子の登場である。案山子を今日だ、という一点で、配置する。このタイミングをはずすと、いくら立ててもだめだ。風船案山子、リアル案山子でなければだめだ。通りがかりの近所の人が、声を掛けるぐらいでないと、効果がない。風で動くようにしておくと、効果が高い。突然振り向いたような動きが一番良い。大きな田んぼをすっかりネットで覆う人がいるくらいだから、スズメが居なくなれば、農家は作業が一つ減る。確かに減ったという話は聞くし、来ないなと思っていれば、4、500羽の群れがドット来る。まだまだ油断できる減少ではない。50年前の1割になったというが、今の10倍居たのでは、苦労したことだろう。毛沢東は報奨金を出して、スズメ、ネズミ、蝿の追放をやって成功したと、言っていたが今はどれも多くは無いが居る。そもそも日本ほど、沢山はいなかった環境に見える。

自然のバランスが崩れはじめている。温暖化や化学汚染物質の自然界への蔓延。農薬や化学肥料もあるだろう。大気汚染。環境ホルモン。あらゆる、問題が自然界に表れ始めていると見るべきだ。気温が一度変ると言う事の自然への影響は大変なものだ。あらぶる気候現象も目立つ。人間の暮らしの増大を地球という器が受け入れ切れなくなる予兆。温暖化で冬でも野菜が出来てありがたい、スズメがいなくなって、作物が作りやすい。そんな馬鹿なことを書いているうちに、大きな破綻が間違いなく来る。ミツバチの減少の方は、ほぼ農薬に原因があることにされてきたようだ。スズメの減少も似たようなことになる。目立たない生き物たちがドンドン消えていっている現実。農薬ならまだ良い。もっと深刻な原因がような気がする。原因は難しいが、結論なら分かっている。他の生き物がすめないほど、人間が多すぎる。

人間の人口の方が、今の10分の1くらいになるまでは節度である。人間の暮らし方が、自然と折り合って我慢していなくてはならない。江戸時代のように。地域で循環してゆく暮らしを模索すること。それ以外に解決策はない。そこに不時着地点を見つけて、早く豊かな消費生活から降りることだ。今すぐ不時着すれば、ギリギリ間に合うかもしれない。このままの競争社会を続けて行けば、人間がここ50年で1割になったというような時が、来る。それでは悲惨である。せめてソフトランディングすること。そのシュミュレーションに入らなければならない。ものに溺れての幸せでなく。心がものから解放される幸せを想像すべきだ。スズメやミツバチのように自然に則しているものは、もうこの環境が耐えがたくなっているのだ。

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