畑の家

   

町田に「畑の家」という、精神の障がい者の園芸療法施設がある。畑を広く耕作され、園芸療法をされている。その生産物を販売することで運営もされている。始まりは1980年と言うから、30年になる活動である。園芸療法というのは、心や体を病んだ人たちのリハビリテーション。園芸活動をセラピーの手段として利用するもの。農の会と似ているわけである。農大にも『バイオセラピー学科』が新設され『登録園芸療法士』という仕事にすすむ学科らしい。日本の息詰まるような社会状況の中では、切実に必要度が増していると思う。中心に運営されている田丸さんという女性がまごのりさんの友人で、何度か農の会の活動に参加されてきた。先日田丸さんが、小田原でも農地を貸して貰えないかと言う事で、お話があった。田丸さんの望まれていたような農地は見つかった。実際に農地を前にしてみると、小田原で、精神の障がいのある方達の活動が、受け入れられえるかどうか。難しいに違いない。手立てはないのか。

一度、田丸さんとそのことを話してみようと思い出かけた。田丸さんは私がその心配を話し始めると、自然に話を農地を借りると言う事から、農の会の活動に参加させてもらいたいと言う話に、なっていた。田丸さんが長年経験されてきた、深い困難を思った。この仕事は、心配をかかえながらではできない。絶対的とも見える偏見の中で、戦ってきたのだと感じた。田丸さんはとても強い人だと思うが、あまりにやさしく、私の躊躇を受け入れてくれたので、そのことを私自身が気付かないほどであった。帰り道は、とても哀しい寂しい気持ちと、許していただけたと言う気持ちが交錯した。園芸療法という手法については、田丸さんのような、大きな存在が必要なものだと思う。私の祖父の黒川賢宗と言う僧侶は、寺院を精神障がい者の受け入れ場としていた。そこで暮す人達の祖父に対する態度は、他の人と対する時と、全く違っていたのを思い出した。

自殺者が毎年3万人出る社会とは、近隣でも、友人でも、そう言う事があって不思議でない社会である。誰でもが、何度も経験していることである。ああ、と絶句してしまうような、喪失と傷の伴う事である。思い起こせばシグナルはある。そのとき気付かないだけである。気付く事のできない、自分である。深刻度のレベルは違うにしても、ほとんどの人が傷を受けている。傷を受けないことの方が不思議なくらいの、許しの無い攻撃的社会である。責める事で傷つく心を凌いでいるような社会状況。瀬戸際に立つ人は多い。飛躍するようだが、やはり技術の問題だと思う。祖父や田丸さんのような特別な方でなければならないのでなく、誰でもが受け入れる心の技術を習得している必要がある。人と接すると言う事は、難しい奥の深いことだと、思う。

農の会は園芸療法の組織ではないが、畑を耕す事で、自分が支えられている事は、しみじみ分かる。シャベル1本の自給を、開始した時。多分心の危機でもあったのだろう。絵描きと言う職業を目指して生きてきて、絵描きと言う職業に就けない、苦しさ。情けなさ。能力不足に対する絶望。5年の開墾生活を通して、自然と言う大きなものが自分を受け入れてくれた事を知った。これでも良いんだと言う事を、山を耕して畑にしてゆくことで教えてもらえた。「比較するとか、競争するとか。」でない生き方。「だめでもいいじゃん。」だめであることを受け入れることができた。自然という物は人間の少々の良い悪いは、関係がない。まったく出来ないと思って始めた、自給生活が、シャベル1本でできた安心立命。この耕す事で、得られた安心感を、多くの人に体験してもらいたいことだとおもった。園芸療法に繋がっているのかもしれない。

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