陰暦の事
陰暦で暮す。こう言う事を聞くようになった。太陽暦に変わって、様々なものを失った事に気づく。もちろん、世界基準にあわせると言う事で、国際社会に合わせるというやむえない事であっただろう。日本語すら止めようかという、極論まであった。日本文化否定に走った、明治政府の様々な失敗の一つであろう。太陽暦に変えた事はよかったのだけど、上手く陰暦を組み合わせる知恵が必要であった。この頃、車の色彩は一気に多様に広がっている。うちの奥さんの軽自動車は自分で色を決めて、塗ってもらったものだ。新車の色を変えるなんて、自動車やさんも驚いていたが、そういう人も増えているのだと思う。そういう車を何故売らないのかと思う。JIS色彩の基準というようなものがある。工業的に基準色を決めてJIS Z8102 物体色(213) といえば、誰でも同じ色にたどり着けるようになっている。絵描きはこう言う事を普通考えないが、工業化と言う事はこう言う事になる。
JIS規格色も最初はちゃちなものだったが、時代に即応したのか、多種多様で、ある意味人間の識別能力の限界の世界にある。さらに、パソコン上の映像的色彩の登場で、色はさらに分野を広げている。JIS日本慣用色という物も蘇芳(すおう)#94474Bとかある。色には本来こういう風雅な名前が必要である。それほど尊いもので、由来やその背景に広がる文化も含めて、色彩であろう。御香の香りを数字で表現するような、野暮天というのはいけない。僅かな違いが含まれて、ふくらみが生れる。絵具に曖昧がなくなって使いにくくなった。と脇田和氏は書かれている。陰暦というのは、便利性は確かに減ずるが、含みが大きいという意味がある。その文化の含みをうまく、太陽暦に取り入れる必要が起きている。それは農業をやっていれば、都度都度感じる所だ。正月が満月というのは、いかにもおかしい。感覚が壊される感じがある。
以前籾洗いを、正月にするという人がいた。居たというのは現代農業の記事で、本来江戸時代にもそういう人が居たのかどうか。ここが気になる。太陽暦に変わると、そういう意味の曖昧なものは静かに失われた。「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。」という訳である。もみ洗いは正月、これはどう考えても、陰暦の正月の事であろう。籾という物の生理を考えてゆく事と、早めに低温で浸種すると言う事を併せて考えればそう言う事である。正月という暮らしのまつりごとが失われた。全てを太陽暦の性にするわけではないが、さて、今年も年が改まった、神棚に種籾を供え、頭を下げる。この気分はとても大切なことではないか。全てをゆだねるという人間の傲慢を捨てる思いがある。正月は全てが始まるとき。新月でなければならない。
陰暦は旧暦で農暦である。農業が産業のすべてと言ってもいい時代の暦なのだ。そう言う事を中国から日本は学んだ。学びながら、日本的に潤色し、さらに磨き上げた。この磨き方が魅力に満ちていた。まだ、師走に入ったばかりというのが、今日1月17日である。2月の14日が旧正月となる。これなら、農作業を始める意味が実感できるという物だ。人間の身体の方は、まだ旧暦である。と言っても正月の新月から、小正月の満月までは、精神的な農作業である。あれこれ頭を回し、煮詰めて行く時間である。すべてを整える2週である。身体を動かし始めるのは、小正月のドンド焼が終わってからである。これは、もう今年で言えば、3月1日の事である。古いものに含まれている様々な知恵。物から心の時代に進む。新暦の持つ合理性、共通性に不合理、不便、個別性。日本人の得意の、合体である。農業をやると言う事なら、陰暦を上手く太陽暦に滑り込ませる工夫が必要だと思う。