絵の展示室

   

自分の絵を並べる部屋を作る準備をしている。自分の絵を見るためである。実は自分の絵をむかいあって見る、と言う事は案外に少ない。描き終わると役割が終わったような気分になって、頭から徐々にその絵のことは消えてゆく。個展を定期的にやっていた頃は、自分の絵を眺めるという機会はあった。今思うと、自分の絵と否が応でも向かい合うという機会は、何をやっているのかを確認するためには、必要なことだったと思う。しかし、作品を個展という形で展示することが嫌になった。この時代の個展を取り巻く意味も不愉快だし。自分がやっていることを出て行って見て貰うなど、自分が絵を描いている姿勢や、意識が離れすぎた。描いた絵を売らなければならないという気分にも、耐え難いものがある。だから、画商にやってもらう個展も止めた後も、画廊を自分で借りるなら、違うかと思いやっては見たが、そう言う事でもなかった。

では、水彩人や水彩連盟に作品を、何故出品するのか。それは明確に他の人の作品と並べてみた、と思うからである。そして、自分のやっていることを他者との比較して確認したい。そう考える間は、まだ出してみようかと思っている。しかし、自分の絵と正面から向かい合うことは、又別の事だと感じている。やはり大切だと思う。他人に見せるためでなく。自分が見るために、作品を並べる。それなら、自分の展示室が家にあれば良い。たまたま、天井の高い2間半と3間半位いの部屋がある。ここにあるものを一切片付けて、壁をスッキリさせて、絵を飾りたくなった。並べて絵と向かい合ったらば、何かが見えてくる気がしだした。思い立ったら、冬の間でなければ出来ない、急に進めたくなって、ホンダ大工さんに急遽お願いした。二月1ヶ月でやってくれることになった。

ホンダ大工さんは箱根の人で、以前はお父さんと一緒に仕事をされていた。今は荻窪に居る大工さんと一緒に仕事をされることが多い。一人でやるのはつまらないから嫌なのだそうだ。ホンダさんはとても大工さんらしい大工さんである。にもかかわらず全てに控え目である。大抵の大工さんは控え目に見えるが、自分流を堅持する。ホンダ大工さんは人間が良く出来ているのだとおもうが、こちらの意図通り進めてくれる。ここがとても重要で、私のお願いは大抵は普通の形ではない。普通やらないような事をお願いする。「はい、はい。」と言いながら自分流にやってしまうのが、大抵の大工さんである。兄の家は、要らないといっていた床の間が、いつの間にかサービスで作られてしまった。思い出せば、あの時も、この時もと色々残念な作り方が出てくる。私の言う事が非常識だから、しょうがないと思ってあきらめてきた。所がホンダ大工さんに出会って、自分のお願いした意図をそれ以上に仕上げてくれるので、ビックリした。

大きな絵が4枚飾れるだろう。その中でゆっくり見て置きたいことがある。見ると言う事が、私が一番の楽しみなのである。聞くとか、味わう。こう言う事は、見るに較べたらどうと言う事はない。見ると言う事が、考えると言う事に繋がる辺りが、一番面白いのだ。もちろん、風景もいいし、植物も面白い。人間だって面白い。みんな見るというところからはじまっている。この見たものを描きとめる。何を描きとめているのか。私の目が見ているものは、何なのか。じっくり向かい合いあって見たい。まったく私的なことである。冷静に考えれば馬鹿げている。あまり人には言えないようなことでもない。ここで自白したような気分だ。何故焦るかといえば、いつまで見えるのだろうかという、不安がある。目が衰えている。見えないで生きているという状態は、現状ではとてもまずい。見えていないことが、かなりあるような気がする。

 - 水彩画