ルース米大使が激怒
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり鳩山由紀夫首相が年内決着を断念したことに、米国側が激怒した。岡田克也外相と北沢俊美防衛相を前に顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りにする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした、という。もし本当に顔を真っ赤にして怒鳴ったようなら、外交官としては失格だと思う。この情報は防衛庁筋からとの事だらから、国民向けに意図的に流された情報だろう。アメリカを怒らせて大丈夫なのか。古い感覚の手法である。もうこういう恫喝で、日米関係がどうにでもなる状況は終わっている。日本が普通の国になってきたのだ。アメリカは自民党時代の、全てアメリカがやることは正しい、というような追随外交は日本になくなっている。日本は社会主義国家になったのかという報道が、アメリカにあったらしいが。沖縄県民の意思を大切にする。民主的傾向が芽生えたと言う事だろう。
核拡散の結果もある。北朝鮮が原子爆弾を所有すると言う事は、アメリカ一辺倒主義でなくなるのは当然であろう。オバマ氏の選択は正しい。核廃絶はアメリカの利益でもある。核の傘を恩着せがましく主張できる状況は終わっている。中国の軍事大国化も深刻な現実である。アメリカオンリーではやってゆけなくなっている。この機を逃さず、小沢訪中団は160人もの国会議員で編成され出かけてゆく。かつてないことである。日本がアジアの一国であることが、明確に位置づけされ始めている。判断ではなく、現実の世界の流れ。金の切れ目が縁の切れ目。アメリカが圧倒的経済力の時代は終わっている。先日のオバマ氏のアジア訪問は中国重視の姿である。日本でのアジア外交演説は、ヨーロッパのプラハが選ばれ、非核化演説をしたのと同じセンスである。鳩山優柔不断外交などと分析されているが、なかなか巧みな舵取りである。
もしアメリカ大使が怒鳴ったとしても、報道に伝える防衛省の関係者の鈍い感覚が一番困る。防衛省と言えば、田母神氏が笑っていい友に出ていた。石原都知事の紹介した友人。緩んだ若者に活を入れてくれというのが伝言。タモリさんに対して、面白叔父さんを演じようとして失敗していた。活を入れるどころか、こんな人間が航空幕僚長だった日本の自衛隊の感性。もう一度オリンピックに名乗りを上げたいとする、石原都知事の時代感覚のなさと同じである。もう過去の人達に見える。かつて、軍国化の象徴として登場した、航空幕僚長の源田実氏の印象とはあまりに違う。アメリカが本気で怒ったら、どうするのだ。これが防衛省の意識らしい。外交交渉は怒った方が負けだ。武力戦争ではない。小泉靖国訪問を中国国民の怒りとして表現する、中国の巧みさ。沖縄県民の怒りをきちっと表現するのが、報道の役割のはずだ。それがないから、アメリカは日本の民主主義を理解できない。
沖縄県読谷村で発生したひき逃げ死亡事件では、米兵の身柄引き渡しすらまだ行われていいない。こう言う事が放置されている、沖縄の現状に日本人は大きな怒りをもつべきだ。普天間基地の移設問題も、大学への墜落事故がそもそもの始まりだ。都市のど真ん中に存在する普天間基地の危険。一日も早い県外移設を望むのは、そこに暮す者の当然の思いだ。日本の米軍基地の75%が沖縄に存在する異常さ。この不自然を一貫して放置し、解決できなかった、しようとしなかった日本政府。民主党政権が、何とか道を探そうとしていることに対し、足を引っ張る事が日本の国益であろうか。アメリカの肩を持ちたいとしか思えない、主張のない報道姿勢。口を開けば「外交の一貫性が、国際的信用を高める。」根拠はこれだけ。国際的な信用の一番は、民主主義の尊重である。そこに暮すものを、踏みにじる政府が国際的に許される訳がない。