ごみ処理有料化の是否
実は、ごみ処理は現在でも有料である。今は見えない形になっているだけである。小田原市の現在の処理費用は市の税金の10数パーセントをかけて処理されている。これを受益者負担と言う形の、直接払いにしたほうがいいかどうかが問題なのだ。当たり前の事だと思う。ごみを多く出す家庭が、多く払い、少ない家庭は安く済む。この当然の事に案外に抵抗が強い。先日行われた、ごみを減らそうのTRYフォーラムと言う市民の集まりでも、ごみ有料化反対が多数を占めた。実は支払い方法だけの問題である。見えなければ、良く分からない形なら、無料と言う間違った意識が生じている。ごみと言うのは誰もが、あまり見たくない。汚いものだから当然の事だ。そこに乗じて、胡散臭い事になりがちなものである。直接払いにすると、日々費用がかかるのだから、監視の目が強くなる。ごみ減量化の意識も高まる。ごみ有料化に悪い事は一見ない。
何が問題で行われないのか。一番は行政の意識であろう。市民の嫌がることは行いがたい。しかし、遠からずそんなことは言っていられないくらい、ごみ処理が財政を圧迫するので、増税と言う感じで出てくるはずだ。実際上の問題では、事業系のごみ問題の整理がある。事業系のごみは町場ほど多い。住宅地では少ない。東京23区内は70%が事業系ごみといわれている。ごみ処理が広域化されると、このアンバランスが顕著化する。多分箱根町が事業系ごみの比率が高い。山北町などは低いと想像される。何故広域で山北の問題まで挙げたかといえば、もう合併問題が目前に迫っているからだ。合併も財政の緊急事態で、市民町民の意識どころでなく、緊急処理が待っている。3月の今後の方向性の決定では、合併の方向が出てくるに違いない。その意味で、ゴミの広域処理も問題の性質が変わる事を前提に考えなくてはならない。合併はごみ処理有料化の大きなチャンスである。ここで問うべき問題の一つである。
有料化の最大の問題点は、製造者責任である。日本のようにごみ処理の責任を製造者が負わない社会に於いては、有料化は製造者責任が厳しき問われることを避けることになりかねない。つまり、ごみは本来出ないように製造する義務が、製造者にはある。ごみにならないものを作る。こうした製品作りの社会が、本来である。過剰包装とか、販売側の都合に従う、販売手法。あるいは、企業優先の発想。世界の市場で有利に戦うために、製造者責任を企業に強く問わない傾向が今までの日本である。ごみになるようなものを製造できない。有害物質を出すようなものは製造させない。こうした視点が不明確な中で、ごみに対する責任の全てを、受益者に負わす事に成るのは、本末転倒である。有料化を徹底するなら、同時に製造者の責任を厳しく問う必要がある。いぜん、スーパーでお惣菜を購入したおじさんが、食品の中身を持参の容器に移して、ごみを全て捨てて帰った。
有料化の手法である。単純にゴミ袋の有料化以外にない。ゴミ袋の大きい45リットルで1枚100円くらいであろうか。ごみ処理の実際はそれ位かかっている。年間100枚の家庭で1万円。そうなれば、生ごみの堆肥化をする家庭のメリットも出てくる。ごみになるものは買わない人も増えるだろう。それでも平気でごみを大量に出す人も居るだろう。一端は減ったごみもまた増えるという現実がある。有料化になれば、ごみの不法投棄も増えるだろう。コンビニやスーパー、駅に不法投棄する人も急増するに違いない。観光地や、高速道路のゴミ箱が家庭ごみで溢れる。ずるい人犯罪者は居るものである。それでも、有料化の方が公平度が高い。ごみも減る。ごみ処理有料化の前に、やるべきことがあるという論議がある。しかし、ごみ処理は既に隠れた有料なのだ。隠れているより、現した方がいい。そして、徹底した会計処理の公開を行う。その処理実費がゴミ袋の価格に反映するぐらいがいい。