川原温泉と八ツ場ダム
川原温泉の熱さが、まだ足先に残っている。何しろ源泉から来る湯温は80度。水道のホースからの冷たい水で身体の回りを防御しながら、お湯に浸かった。「聖天の湯」紅葉の海に突き出したような、空中回廊の湯。ほてった顔や頭に降り注ぐ、冷たい波しぶきのような落ち葉。こんな贅沢な思いをさせていただいたのは、めったにないことである。きっかけは、おんりーゆの緑のドームの話を読んでくれた友人のTakeさんが、緑の海に浮かんだ温泉があるから行かないか。と誘ってくれた。Takeさんはこのブログを設定してくれた人である。小田原に越して来た頃、コンピューター買いかたとかホームページの作り方とか、教えてくれた人である。身近に質問できる人が居ると言う事が、いかにありがたいことか、パソコンをやった人なら身に染みて居ると思う。
川原温泉である。おんりーゆーの事もあったが、八ッ場ダムの中止の事もあった。秋の紅葉の吾妻渓谷の事もあった。Takeさんはこんな大騒ぎになる前の、川原温泉を尋ねていて、50年間のダム問題と向かい合ってきた地域に、深く感ずる所があったようだ。それは、この久野地域がダック反対闘争に明け暮れた10数年の年月。その中心で事務局を支えた人間だからこそである。そもそも、反対運動をやるような人ではない、そこに普通に暮らしていた人間が、降って沸いたように巻き込まれる、暴力的な事件ともいえる、巨大公共事業。公の為に個の利害を捨てろと、暮らしそのものを、いやおうなう巻き込み、転覆させてしまう事件。50年間ダムと言う、絶対的な力を前にして、暮らしをたててきた人々。そのあげくの中止の発表。まさに、公に翻弄される、個の暮らし。そのことが気になって訪ねたらしい。
吾妻渓谷である。日本の絶景である。鹿飛び峡の目も眩む迫る断崖。さすがにこれをダムの湖底に沈めるわけには行かないと、計画は変更され、少し上流にダムが設置される予定変更だったようだ。そうは言っても、この美しい渓谷の山里自体が、既にコンクリートで、無残に破壊されつつある。それはテレビに映る以上に、深刻な状況であった。ここまで自然を傷つけてしまう痛ましさ。暴力的な自然破壊行為、暮らしの実感とは程遠い、意味不明の橋脚のコンクリート。ああー、ここにも日本現実がむき出しになっている。関東の組長たちが、組長会議を開いて、「早く沈めてしまえ。」叫んだ訳である。今どうするかは別にして、やってはいけないことをやってしまったことだけは確かである。50年前の治水、水資源確保は、工業化社会の推進を前提にして、突っ走って来た日本の現実である。日本の方角が変わった今、過去が問われようとしている。
ダム中止は、間違っていない。日本が今置かれている革命的方向転換の為に、多くな無残ことは、今後もあるだろう。高度成長期以降の日本の伸びきった姿を、地に足の着いた、本来の姿に立ち戻る為には、さらに矛盾に満ちた苦しみを経ることになるだろう。経済においても、さらに悪化を辿るだろう。今日本は、不時着しようとしている。このまま迷走飛行を続けるより、不時着地点を見つける方を選んだ。いまなら、まだ被害が少なくて済む。と私は思いたい。思いたいが、民主党政権はいまひとつ、不時着地点を指し示していない。95兆円の概算要求である。自転車操業を続けてきた、大半の企業にとって、速度を落としての方向転換は、困難極まりないことであろう。それでも、もう自転車をこぎ続ける力も、限界に達してきていた。きっちりと自らの足で歩き始めるための優しさが必要。川原温泉に対して、ビジョンを提案させてもらう事が、国の緊急に行うべき事だろう。