貧困率のこと
日本の相対的貧困率は経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中4番目の高さ。本年はついに2位にランクされたらしい。下位10%の国民の平均所得は日本は6000ドル(約54万円)とOECD平均(7000ドル)を下回る。さらに、子どもの貧困率が14%、高齢者の貧困率が21%、ひとり親家庭の貧困率は59%と、すべてOECD平均を大きく上回っている。下位10%の年所得が54万円と言う事は、月々4万5千円で暮らしている世帯が10%存在すると言う現実。こうした数字には表れない部分もある。資産とか、自給とか。絶対的貧困とはこの数字は異なる。食糧、医療、衣服の生活必需品が手に入れられない。こうした人の割合は2002年には4%だった。日本は絶対的貧困層は少ないと主張する人達は、この古いデーターにしがみついている。その後の、急速な変化の実感に目が向いていない。
1970年当時、日本は一億総中流社会と言われた。戦後の社会情勢の変化で、急速な経済格差是正が行われた。絶対的貧困層の急減が感じられた社会。安定した農村社会の存在と、出稼ぎ労働を可能にした受け入れ先としての工業化社会のバランス。当時学生だった私の周りには、自分のアルバイト収入で大学に通っていた仲間はいくらでも居た。大学の学費は年間1万円であった。下宿の部屋代が5000円ぐらいだったか。一方現在は世帯年収の3分の1が教育費に消えている実態がある。200万円以上400万円未満の世帯では教育費は55.6%に達しているとデーターにある。学生闘争の根底にあったもの。この先日本が辿るであろう、世界に於ける行きすぎた資本主義の競争に対する、批判。経済至上主義の危うさ。社会に於ける人間疎外。社会としての目的の喪失。当時の不安の的中した、日本社会の展開とその結果。
格差を無くすためには、分配の方法を変える事である。持っているものが手放す事である。それは税金の分配の方法を変える事が重要。「コンクリートから人間に。」この基本の考えは正しい。箱ものを作らない。ダムは要らない。高速道路は要らない。高速道路無料化など、とんでもない話だ。ガソリン税などむしろ高くした方がいい。ごみを一括して、高温溶融炉で燃やしてしまうような、馬鹿げた事を止める事だ。その為にはCO2の削減25%の国際公約もいい。環境税の創設も良い。消費税の増税もすべきである。ただし、その前に今までの国家の支出を総点検すべきだ。無駄を排するというが、必要緊急なもの以外はすべて中止である。今の日本の置かれた状況は、世界のどの国よりも、深刻な転換期である自覚が必要である。
日本という国の進むべき方向を考えた時。絶対的貧困を問題にするより、相対貧困率の方を重要視しなくてはならない。自殺率の高さ。旧ロシア圏を除けば、世界一の深刻な状況にある。加えて児童虐待の急増。このことは改めて書きたいと思うが、柳田國男が見た、椎葉村の当時の都会生活から考えても極貧でありながら、豊かでたおやかな暮らしの事である。国の農政の役人が、そうして民俗学を作り、探って行った日本の常民の暮らし。人間が幸せに、安寧に、平和に暮すと言う事が、どのようなものであるのか。その一番見なければいけないことは、貧富の差をなくすこと。こうして暮らしてゆけば、先祖と同じように暮らせるという見通し。競争し、勝ち抜かなければ生きぬけない社会。能力がなければ不幸になる社会。これでは社会はいつまでも不安定なままである。
昨日の自給作業:菜花の種蒔き。草取り2時間 累計時間:9時間