小田原の放火殺人事件
小田原市役所のすぐお向かいのお蕎麦屋さんで、2人が死んで4人が重態という、大惨事が起きた。西湘地域ですさんだ事件が続く。平塚のスーパーで理由なく、中年女性が人を刺した事件。国府津海岸に女性が埋められていた事件。この事件小田原の71歳の男性が犯人として、昨日逮捕されたようだ。下曽我のさがみ信用金庫に強盗。その後、暴走中学生が警官の銃を奪って、逃走した事件。元プロボクサーが、小田原競輪でお金を失い、近隣の住宅に押し入り殴り殺す事件。まだあったと思うが。連続的に信じられないような、暴力事件が頻発している。これは郊外型事件だとおもう。国立市長さんが防犯パトロールを止めたほうがいい。あれは自警団の隣組で、いやな時代に戻る兆候だ。このように講演会で話されていたが、私の感覚では、小田原と国立の状況の違いを感じた。子供の事件の頻発から、そこまでしなくてはならない、切実感が小田原にはある。空気の違いだと思う。
こうした事件があると、自分が疑われるのではないか、とすぐ心配になる。犯人は身長は180センチ以上あった。などというとホッとする。黒いジャンパーを着ていた。土地勘がある。などというと、ちょっといやだなぁーと思う。相当遠くでも土地勘がある。すぐその時間のアリバイを考えたりする。冤罪とも違うのだが、何か犯罪者になってしまう心理。反射的に、不安が存在するのだ。殺人などしたくもないのに。反権力的である。そう言う事かもしれない。実はある所で、お蕎麦屋さんの事件のかなり踏み込んだ側面を知った。とてもブログに書いて、公表できる内容ではない。この事件は闇の深い、いかにも都市近郊事件だと思った。新聞公表の範囲では、立ち退きのトラブル事件となっている。実は我が家にも警官が来た。ともかく関係者が死亡、重態と言う事で、状況把握ができていない、など言っていた。権力不安症としては、火事にかこつけて、何かを探りにきたという気に成る。警官の名前は確認したが、これもあまり書かないほうがいいのだろう。
現社会状況は、暮らしが極めて流動的。不安定で、切迫感が漂っている。こちらの事件ではないが、病院関係者のお子さんが、殺された事件。路上生活者の殴打連続殺人事件。差別的な意味に成ると困るのだが、どちらも知的障害のある人間だった。こう言う時代の空気に、影響されているのではないか。この一年。小田原周辺の空気は荒れてきていることを、肌で感じる。社会全体の自転車操業が末期的状況ではないか。企業の人員削減。肥大化した生活のあり方。アンバランスな精神状況に陥りやすい。こうした状況では、弱者がまず追い詰められる。不安な状況から差別も生れる。防御的社会と言う事は、排他的な社会になりがちだ。弱者が最初に切り捨てられる。弱者の存在できない世界。弱者であることが、受け入れられない世界。これは誰にとっても居場所の無い世界。
会社を辞めさせられ、路頭に迷って、東京から120円の切符で電車に乗る。ふらふらとJRに乗ってしまう。伊藤が終点だった。伊藤で保護されて、行政に行く。熱海までの切符をくれた。今度は熱海の市役所に行って、小田原までの切符をもらう。今度は東京の派遣村まで送られる。小田原の行政が隣の街に送らなかったのは、良かった。東京で生活保護をもらえるようになる。友人のブログにあった記事だ。本当に悲しくなってしまった。やりきれない。隣の駅までの回数券を渡すと言う、始末の仕方がどうにもたまらない。行政の人間として、それ以上踏み込めないと言う、現実の深刻さ。翻って、この人の人生を思う。派遣で働くことが都合のいい時代。働いていても、少しの蓄えがなかったのだろうか。家族も、親戚も、友人も居なかったのか。人の事をあれこれは言っても始まらないが、こうなる前にやることはなかったか。この人を責める気持ちではない。何も出来ない自分が、情けないのだ。コッコ牧場のことも、いい形での協力が出来ていない。どうすれば良いのか、道が見えない。