やりたい人がやりたいことをする。
メールでNPO法人あしがら農の会に就職したいのですが。と言う問い合わせがあった。もちろん給与が必要な専従職員が置けるような会ではないので、説明してお断りした。しかし、周囲から見て、やっていることを仕事だと考えれば、10人くらいの職員が居なければ回らない組織に見えるだろう。ところが、仕事と言うものは一つもない。全ての活動が、やりたい者がやっていると言う事を前代表の相原さんが徹底させた。だから、行われていることは全てが、関わる人自身が楽しいからやっていると言う、原則に従っている。沖縄の離島の話を読んだのだが、昔の部落仕事は、お祭りのようなもので楽しかった。と言う話がでていた。それが、お役人が監督として現れるようになって、お金がもらえるように成ったのはいいが、同じ作業なのにちいとも楽しくなくなったそうだ。
前代表の改革に伴って、幾つかの問題は起きた。それまでお願いして協力していただいていた人達が、周辺に結構居た訳だ。ある意味好意に期待して、協力をお願いしていた。所がそうした周辺の厚みのような形になっていた人達に対して、少し角度が変わった。「やりたいのならやってもいいですよ。」協力をお願いしてきた私としては、少々困った。この相原さんの改革に異議は申し立てたが、結局そういう改革を評価し、従うことになった。結果収穫祭は無くなった。なくなって寂しいと言う話は聞くが、やりたいというものが居たらやれば良い。と言う事になっている。つまり、どんなことでもやりたい者が居なければ、やらないことも、選択できることになった。毎月会報が作られる。記事も充実していて、結構な読み物だが、これも、前編集長、現編集長の意思で続けられている。商店のPR紙として外注したらどのくらいの費用が要るだろう。あらゆる分野で、誰かがやりたいことをやっている。
もちろんこのやりたい者がやる。と言うしくみは世間一般の平等とは違う。そのために、他の仕組みに慣れた世間一般の人には、理解するまで少し時間がかかる。時間がかかって理解したとしても、居心地が悪い人も居るだろう。例えば、うまく利用だけしようと言う悪知恵を働かせれば、上手く利用だけ出来るかもしれない。今までの所はそうした問題はない。むしろ、農の会的なやりたいという関わり方で、協力的な人が増えてきているのが実状である。こう言う考え方を昔から主張していたのは、舟原田んぼの岩越さんである。やりたい者がやる。やれる者がやる。必要なものがもらう。せめて農の会ぐらいはそうあろうよ。参加した赤ちゃんだって、みんなの気持ちを和やかにして、元気を振りまいて、充分活躍する。確かに今年の味噌作りでは福太郎君が参加してくれた。手の空いた誰かが、面倒を見ていたが、それは見させてもらえたと言う感じで、みんなを本当に楽しい気持ちにさせてくれた。一番活躍したのは福太郎君かもしれない。一番の仕事をした。
大豆の会でこうした方向を育てたのは、中原さんである。大豆の会の種蒔きから始まり、全てを実に細やかに配慮してくれている。これほどの指揮官は居ない。それは参加者全員が思っているだろう。一番の特徴は、あらゆる形で参加ができると言う事。例えば、額田さんは麹の仕込みの指導だけに参加してくれた。額田さんは発酵については科学者だ。大いに参考に成る指摘をしてくれる。お願いしたと言うより自主的に参加してくれた。味噌の仕込みだけの参加者も居る。自分の味噌は別に作るのに、大豆の畑の畝たてだけやってくれた、松本さんのような人も居る。あるいは麹つくりだけ参加する。味噌作りだけ参加する。大豆の栽培だけ参加する。あらゆる参加法を許容できる。さらにすごいのは参加しない人へ何の負担感も与えない所だ。融通無碍の仕組みが生れ始めている。全ては、「やりたいからやっている」と言う精神に支えられている。世間では通用しない仕組みかもしれないが。農の会はすごいと思う。人間は素晴しいと思う。そういう気持ちが集まって、味噌作りの大きな、おおらかな集まりに成るから、豊かな実に愉快なお祭りになる。