グリーンニューディール

   

アメリカはオバマ大統領が就任する。風力、太陽光、バイオマスなど再生可能エネルギーの開発・導入に、10年間で1500億ドルを投じ、500万人の新規雇用(グリーンジョブ)を創出すると宣言している。新しいグリーンニューディール政策の展開が始まる。英独仏の欧州各国政府も環境とエネルギーへの投資をバネに雇用拡大をめざし、矢継ぎ早に新制度を提案している。中国と韓国も、政府の景気浮揚策は環境投資、グリーンへのシフトが鮮明である。各国の構想はいずれも大規模かつ迅速で、しかも具体的である。オバマ構想では、家庭で充電できるプラグインハイブリッド自動車を15年までに100万台導入し、再生可能エネルギーの比率を25年には25%に高めるとしている。ドイツは、20年には再生可能エネルギー産業を自動車産業を上回る規模、売り上げ2400億ドル、雇用25万人に成長させる計画だ。(以上日経新聞社説)

当然の政策転換であるし、それ以外道はないと思う。残念なことに、日本政府は出遅れていたが、ここに来て「緑の経済と社会の変革」をキャッチフレーズに、環境分野に投資する企業に対する無利子融資制度の創設のほか、省エネ家電や電気自動車など次世代自動車の購入を促す施策の拡充、省エネ住宅の新たな普及策などを想定している。2015年までに環境ビジネス市場を06年の約1・4倍となる100兆円規模にし、雇用も80万人増の220万人の確保を目指す。残念ながら、これで新しい時代が開かれると言う、意欲が不足している。今までの拡張範囲。車が売れないのは、車会社間の競争の問題ではなく、車による社会構造の成り立ちが変わろうとしている。いい車なら売れるとか、ハイブリッド車ならというような発想は通用しなくなってきている。車に変わる次の輸送手段への転換が必要になっている。少なくとも、化石燃料を使う車ではない時代が始まろうとしている。

先ごろようやく決まったCO2など温暖化ガスの排出量取引の中身を見る限り、今や米国を抜いて世界でいちばん環境に背を向けている先進国。排出削減に義務も課さなければ罰則もない制度しか作り出せないでいる。京都議定書ですら、その達成がおぼつかない状況である。しかもその責任の多くを国民生活に押し付けて、企業の責任を軽んじている。ここでも、企業の競争力強化だけが日本の生きる道であると、主張するのが政治の方向である。確かに、短期的に見ればそれは間違ってはいない。所がそうしたその場の凌ぎ方は結局は日本の品性を卑しくする結果になってしまった。生活を軽んじてまで、国際競争力強化に置き換える。江戸時代までの日本人はなかなかの知恵に満ちた民族であった。明治以降の欧米の産業社会の受け入れる能力でも、他の後発国よりも勝っている。江戸時代の文化的下地の深さの結果だ。浮世絵の下地があって、西洋絵画の導入。天皇家の存在の仕方でも江戸時代は、文化の象徴としてのみ存在し、政治には一切の関係を絶つ。今と較べるとそのが知恵は光る。

明治政府の富国強兵に、大きな失敗があったと思う。失敗せざる得ない国際社会の状況とも言えるが、家康が持っていた際立った知恵のようなものは、残念ながらなかった。今、大きな転換期を迎えて、問われているのは、日本人の文化的な蓄積能力のようなものではないだろうか。江戸時代鎖国の中で醸成した、絵画分野に見られるような文化的な力量。こうしたものをこれからの日本人がどれだけ育てているのかと言えば、すこし心もとなくないか。もちろんないという事はない。陽が当てられてこなかったし、切羽詰っていよいよ、お金にならないことは切り捨てる空気である。逆なのである。今こそ、大いに遠回りしなければならない。これから重くなるのは文化の力量、蓄積だ。文化は時間もかかる。失われた150年をどう日本人が取り戻すか。日本独自のグリーンニューディールがあるはずだ。

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