自給農業の可能性
自給農業なんて、おばあさん1人でもやっている簡単なことだ。こう言う発言を何回か聞いた。言われてみるとそうかと、最初は安心に思った。でも、そんなおばあさんにまだ出会ったことがない。だんだん、何故おばあさんは自給をしないのだろう。こう思うようになってきた。おじいさんが生きている間は、田んぼも一緒にやっている。むしろおばあさんが主力に見えたりする。おじいさんが平均寿命どうりで、先になくなる。おばあさんが1人で田んぼまでやられることは少ない。ご主人が勤めに出ていて、おばあさん1人で農業をやっている家でも、田んぼに関してはおじいさんの出番である。おばあさんがやるのは畑がほとんどである。少なくとも、女でだけで農業をやっている場合でも、田んぼは女性だけでやっている家は先ずない。これは小田原だけの事だろうか。
原因を想像してみると、おばあさんの方が、経済合理性に敏感で、加えて財産の保全意識が弱い。それでおじいさんが居なく成ると止めてしまうのだろうか。おばあさんはスーパーのお米の値段に詳しい。馬鹿馬鹿しくて自分で作る気になれないというのも、あるのか。機械を使わないと、農業が出来なくなっていると言う事がありそうだ。おばあさんは普通機械に弱い。機械の扱いに男性も女性もないのだが、機械仕事はどうしても、男性の方が興味が強いようだ。それでついつい男性が担当する間に、おばあさんは機械を扱えなくなる。田んぼは機械力なしでも出来るのだが、そこまでして、やるほどの事には思えないのかもしれない。やはり機械力を使わない農業を確立しておく必要はある。代かきは男性で、田植えは女性。田んぼの作業は分業になっている。この辺の歴史的意識も影響しているかもしれない。
以前農の会には女性の田んぼという、すばらしい発想の田んぼがあった。男性は入れない田んぼだ。この思想はとても興味深いものだったが、継続できなかった。理由は色々あろうが、女性エベレスト隊との苦労と同じではなかっただろうか。チームワークが難しいのではなかろうか。チームでやると言う事は、全員が他人の為にやると言う事になる。袋叩きにあいそうで、これ以上勝手なことは書けないが、是非又再結成してもらいたいものだ。農家でも、合理性を追求する家では、田んぼはやらない。味噌も作らないし、当然醤油は作らない。そんな馬鹿なことをやっていたら、暮してゆけないことを知っている。だから、食糧生産はしているが、自給的食糧生産とは、とても距離が大きい。自給農業の合理的な技術の再構成は、改めて開発しないと、もう農村でも失われている技術になっている。有畜農業という言葉はあるが、実際の営農でそんなことをしていたら、大変なことになる。
田んぼは全ての基盤だ。田んぼは先ずやる。必ずやる。田んぼをやらずして自給を語ることなかれ。全てはその上の事だ。それぐらい田んぼはおもしろいし。奥が深い。野菜は買ってもお米は買わない。この覚悟が必要だ。田んぼをやれば、水に関わる。水は全ての循環の根源にある。人と人の繋がりが、生れる。厄介なことだけど、素晴しいことだ。家庭菜園をやられている人には、是非とも田んぼを始めてもらいたい。田んぼを3畝(90坪)耕作すれば、お米は120キロ自給できる。我が家ではこれで二人食べている。時間にして、年間10日で可能だ。デズニーランドより、おもしろい。行ったことがないので本当の所は判らないが、たぶんそうだ。自分でお米を作れば、とても美味しい。魚沼産のコシヒカリより美味しい。毎日お米が食べたくなる。
昨日の自給作業:春キャベツの植え付けなど1時間 累計時間:5時間