久野里地里山保全地区指定

   

神奈川県に新しく出来た条例に基づき、小田原久野が里地里山保全地区として、指定された。2006年に勉強会が、小田原市、神奈川県、地元自治会、NPO法人などで、設立され準備してきたことだ。今までの里山保全活動は都市近郊の僅かに残された、自然を守る形の里地里山保全が主流であった。今回の久野の指定は、むしろ農村地域、林業地域、と言う生計を伴う形の保全地区指定である。これは画期的な出来事である。2800ヘクタールと言う広大な地域の将来設計に、素晴しい方向が定められた。街づくりで何よりも大切なことは、「どんな地域にして行くか」の方向性の模索にある。久野でもまだまだ、地域全体の合意や確認があるわけではないが、第1歩が示され、これから地域全体でどんな久野にしてゆくかの、話し合いが出来る、たたき台が出来たのではないだろうか。

久野には、従来より迷惑施設が集中している。結局、産業基盤の弱い所に他では嫌がられる施設が集まってくる。農業、林業が弱まり、空洞化してきていることが影響している。墓地、火葬場、葬斎場、ごみ焼却場、ごみ最終処分場、ごみ一時保管積み替え施設、土砂捨て場、資材置き場、建築業の作業所も多数存在する。違法合法問わず、迷惑施設が集まっている。それでもまだ、他の地域に較べれば、久野が素晴しい自然豊かな地域であることに変わりはない。相模湾から、明星ヶ岳まで、畑や田んぼがまだまだ広がっている。首都圏では残された僅かな自然であることは間違いない。素晴しいことは、農林業がまだ充分に生きていることだ。生きているとは、本気の農業者や林業者が存在していると言う事だ。ここで里地里山が再生されなければ、日本のどこも無理と言うぐらい、条件がそろっている。

条件とは、里地里山が形成されてきた「手入れ」を日常的に行う存在である。無垢な自然ではない。絶妙な手入れがあればこそ成立した里地里山。日本独特の作り出された自然。これには自然と深いかかわりのある、農業や林業があって保管しあいながら成立する。肝心な日本の林業や農業は今や都市住民が存在しない限り、成立が難しい。林業でいえば、地元の木で建てる家。外材中心の建築の中で、新しい枠組みを模索しながら、探し出してゆく手法がある。これには、林業家、工務店、製材店、設計家、そしてその里山の枠組みの重要性を理解可能な建て主。小田原はそうした運動も存在している。農業も同様である。食べる側の理解があって里地の農業は成立する。そして出来上がる、美しい地域が出来上がって、都市住民のいこいの場となって行く。そこに都市住民からの税の投入が開ける。

久野で行われようとしていることは壮大な実験である。久野に於いても当然、開発行為や、土木や建築の仕事を作り出したいという流れは存在する。生活あっての事で、当然の事だろう。開発と言っても里地里山に相応しい開発は存在する。ただ都市と同じような開発ではなく。里地里山に相応しい開発はむしろ促進される必要すらある。田園優良住宅の政策を小田原市は取り入れたが、これが単なる農用地の住宅開発になったのでは、本末転倒である。法の精神からいってもおかしい。豊かな自然を享受するには、それなりの負担が必要なのだ。むしろ里地に存在する昔ながらの農家に住みたいと言う人達が多い。この思いを上手く取り入れた地域の全体の方向を作り出すことが、これから重要になって行くだろう。

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