道路の事
久野の道路はとても混乱している。昔の道がそのまま自動車の通る道になり、狭いままバスまで通っている。特に通学の時間は見ているだけで恐いような状況になる。地域の車が出かけるために通る程度なら、まだそれほどでもないのだろうが。南足柄や山北方面から、小田原市内の通勤の為に、通り抜ける車が相当数ある。広域農道を利用する車の事だ。舟原まで来て小田原市内に向かう。当然、朝夕の久野の住宅地は車で満杯になる。先日県のこの広域農道を担当された方に話を伺う機会があった。ミカンの輸送の為の道路だそうだ。あるいは観光農業の為に利用されると言う事もあるそうだ。たぶん誰もそんなことは本気では思いもしない。思ってもいないのに、そう説明せざるえないのも可哀想なことだ。これは通勤を中心とした生活道路として、作られ利用されている。にもかかわらず農道であると言う事が、ことを厄介にしていないだろうか。
本来この道路は国道1号線までつながる予定である。現在の所、小田原厚木道路の手前の山の中で終わりになっている。終わりになっているが為に、周辺にややこしいことが起こる。現在この連絡を広げようとして、箱根の仙石原から抜けて来る道を作って、結ぼうとしている。将来1号線に抜けると、そのまま伊豆方面に抜ける、やはり広域農道と結ばれる。伊豆方面の海岸線の夏のシーズンや、土日の渋滞を解消しようと言う目的なのだろうが、もう一つは湯河原、真鶴、箱根、のごみを小田原に輸送する道路として、久野にまで運ぶ道路として必要なのだろう。いずれ久野にしてみればありがたくない道路整備である。久野諏訪の原の焼却場にごみを集めるために道路整備が進む。まさに今そのことが議論されているはずだ。
ついに国土交通省は、道路利用のニーズを示す将来の交通量予測について、これまで2020年まで増加を続けるとしていた見込みを、今後、毎年0・1%前後減少するという見方に変更することを明らかにした。まさに、第2東名高速道路の反対意見として、10年以上前に私たちが散々主張したことだ。あの時に主張に耳を貸す態度があれば、これほどの無駄をしないで済んだはずだ。当時は永遠に人口は増加するし、交通量は増加し続けると主張していた。必ず経済の限界が来て、交通量は減り始める。2つの平行する高速道路は必要ではない。そもそも大量輸送を基盤とするような産業は日本からなくなる。当時から判っていた。意見書も出した。陳述も行った。しかし、少しの配慮もないまま、着工が決定された。みすみすどれだけの損出が生じるかを思うと、断腸の思いで諦めるしかなかった。
久野で言えば、住宅地を迂回して小田原に入る部分を先に着工し、完成させてから、南足柄とは結ぶべきなのだ。小田原に入る所は、当然市街地になるし、買収も難しい。難しい所を後回しにするから、交通混乱が生じる。小田原のように川がある街は、橋の部分がネックになり交通渋滞が起きている。全体の都市計画から始める必要がある。農用地域、住宅地域、工業地域、商業地域、利害を優先せず健全な全体像を構築する。もちろん今までにも全体計画はあった。しかし、市民のものにはなっていなかった。どこかに外注して作っていただいた、たな晒しの計画図だ。必要なことは、住民がどうするか。利害の生じる住民が何を望むのか。住民を加えた、地域の将来を話し合う機運を作り出すことだろう。私は久野の里地里山構想はこの出発点の一つになりうると考えている。