小田原スタイル
あきんど会議と言うものが小田原で開かれたそうだ。創造研究所代表の松本大地氏さんが、あきんど会議の結語として延べられた『スタイル』。参加したわけではないが、とても興味を持った。茅ヶ崎にはスタイルを感じるが小田原はどうだろうか、スタイルの創造と発信が大切。この発想が実におもしろい。確かに茅ヶ崎まで行くと何かが変わる。平塚はそうでもない。同じような条件の街だが、茅ヶ崎はどこかが違う。それはサザンが出たようなところだから。などと思いながら見て歩く。街の中心にある緑豊かな公園やら、公共施設が、駅の北側にある。その手前には商店街がある。奥の方は住宅になって、農地にも続く。駅の南側には路地が沢山あってごちゃごちゃの商店街。それから団地などの住宅地が続いて、海岸となる。住み分けがある程度在る。平塚は地勢的には似てはいるが、少し埃っぽい殺風景の感がある。有名な七夕祭りもあるし、大学なども郊外にいくつもある。何故だろう「スタイル」と言う町ではない。
小田原はどうか。言える事はあきんどの町ではない。これからはむしろ、それが幸いすると思っている。次の時代、あきんどの町は滅びてゆく町。炭鉱町と同じように考えておいた方が良い。商人のいらない時代がくる。これは世の中の構造が変わっているのであって、誰にも止める事はできない。(この前提も大いに研究の余地はあるが。)にもかかわらず、町興しと言うと、シャッター商店街をどうするか。こう言う発想から、全国何処でも抜けられない。商売をしている人にして見えれば、死活問題だから当然の事だろう。ただし、行政には周辺に住む大多数の住民とのバランスも、忘れてもらっては困る。小田原駅周辺に商業施設を行政主導で増やす計画が出ている。とんでもない事だと思う。そんなことをすれば、小田原の既存商店はさらに苦しくなる。これからはパイは減り続ける。商店の淘汰はさらに進むに違いない。商店が減って行く中で、何が成立可能か。これを考えるべきだろう。しかも、財政負担のないもの。
郊外から見る小田原、小田原は素晴しい自立した地域だ。全国でも希に見る町だと思う。小田原を山や海や田んぼから見れば、自ずとスタイルは見えてくる。「漁港がある町・田んぼがある町・山がある町・川がある町・仕事がある町」かまぼこや干物、魚屋さん。素晴しい財産だ。特化する事。以前アンコウが季節によっては捨てられていて、これが都会に持って行って活用される話があった。アンコウで観光客を呼んでいる町もあるのに。などと思った。田んぼがある。西郡米というブランド。これも今はパールライスに編入されてしまっている。しかし地場の農産物で、生活の出来る地域である。山を見れば地域の材で家が建てられる地域。林業家が存在し、製材する事のできる材木屋さんが残っている。何というすごい場所か。実はスタイルは既に視点を変えれば、芽ばえている。東京に勤めながら、自分で釣りをして魚を干物にする人も居る。田んぼを利用してお米を自給する人も居る。スタイルは生れはじめている。
こんな多様で素晴しい可能性を内包した町は他にはない。その価値の自覚が薄いだけだ。いや、加藤市長のマニュフェストにはそのことが、強くうたわれていた。そこへの道筋も示されていた。そのことに、本気で期待している。あきんどによる街づくりには限界がある。上手くいっても常磐ハワイアンセンターのような町興しになる。人口が老齢化し、減少する時代。私は良いことだと思っている。小田原が半分くらいに人口が減少する可能性はある。パイが減ることは間違いない。災害対策は、来る可能性があるから、避難訓練をする。パイが半分になったことを想定して、街づくりを考えておく必要がある。税収も半分になったことを想定して、これかの仕組みを考える見る必要がある。もちろんそうならないように努力はするだろう。悪いほうも想定して、街づくりをするのは当然の事ではないだろうか。
昨日の自給作業:畑の整理と種蒔きなど2時間 累計時間12時間