サミットは何だった
洞爺湖サミットが終わった。馬鹿なことがなく、無事終わったことは良かった。食料安全保障には、食料及び農業のための堅固な世界市場及び貿易システムも必要である。上昇する食料価格は、特に、いくつかの低所得国において、インフレ圧力を増加させるとともに、マクロ経済の不均衡を生じさせている。この観点から、我々は、野心的で包括的でバランスのとれたドーハ・ラウンドの早急且つ成功裡の妥結に向けて取り組む。また、輸出規制を撤廃すること、及び、この状況を長引かせ、悪化させるとともに、人道目的での食品購入を妨げているこうした貿易行為に対するより厳しい規律の導入を目的とした世界貿易機関(WTO)における現在の交渉を加速化することが必須である。
私が一番注目していたところだ。WTOに関してどんな発言をするか。上記の文言が出ている。これをどう読むか。この間の報道の姿勢は、なんとも良く分からなかった。以下が東京新聞の見解だ。
難航していた世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が妥結に向け、わずかに舵(かじ)を取り始めた。サミットの中心テーマだった食料高騰が局面打開に影響を及ぼしたためだ。“霧の洞爺湖サミット”が、「最後のチャンス」とされる二十一日からの非公式閣僚会合に予想外の追い風をもたらした。 ラウンドが進展し、貿易の自由度が高まれば「農産物の価格に良い影響をもたらす」(ブラウン首相)。輸出規制が難しくなり、価格上昇の抑制につながるとの見方だ。「世界で貧しい国を助ける一番いい方法は貿易だ」ブッシュ大統領はサミット前の六日、日米首脳会談後の記者会見で交渉妥結の意義を説明した。(川上義則)
食糧の自由貿易が確立されると、貧困国に食糧が回るようになる。これはどういう論理構成だろうか。私の頭では、自由貿易に成ればなるほど、お金のないところには、食糧が回らなく成ると思えるのだが、何か私の頭はおかしくなったのだろうか。経済原理だけでグローバル化すれば、貧しい国の貧しさが固定されると言う事だろう。自由競争なのだから、頑張れば追い抜ける。こう言う事はありえない。少々の差は確かにそう言う事だろうが、100対1で、否、1000対1で自由競争だといわれても、強者がなんでも自由にする権利の事だ。貧しい国を助ける、いい方法にはなり得ないだろう。アメリカやイギリスを助ける方法には、確かになる。アメリカを貧しい国といえば言えるが、それは文化的にという意味だ。食糧はWTOの枠からはずすことが、G8のやるべきことだろう。
そもそもG8なるものは、どういう集まりだ。世界の環境破壊を推進する国だから、集まって反省しろ、と言う事なら分かる。ダボス会議における、「環境面から見た持続可能性指標」では、カナダ以外はベストテンにもはいったこともない面々だ。日本は現在30位だそうだ。それにしては、カナダに学ぶという様子も無かった。不思議な事だが、地球の環境的危機だ。食糧の危機だ。環境食糧サミットと言われていた。どこに自己反省があり、今後どう変えるのか。この辺は発表された文言からは、拘束力が読み取れない。もし本当に持続可能な国家もデルを模索するなら、むしろその可能性のある国を呼んで、学ぶ事が始まりではないか。北欧の環境重視の国家モデルを何故無視するのだろう。間違いなく、グローバリズムの市場経済原理国家のG8のモデルは破綻しかかっている。そうした所を、何故きちっと指摘できる報道機関がないのだろうか。
昨日の自給作業:田んぼの草刈1時間 累計時間:13時間