このエコ、大丈夫
エコが何にでもつく。エコ生活、エコクッキング、エコドライブ、エコツーリズム、エコロック、エコタレント、エコハウス、エコ給湯。今やエコが付いたら、ちょっと待て。そんな感じだ。怪しい輩が、良い言葉に寄ってくるというのは、ありがちなことだ。大体商売というのは、怪しい者の代表のようなもので、エコに寄りたがるのも無理はない。エコ生活など言われたら、どういう生活をイメージするのだろう。ケチケチ生活。自然派生活。循環生活。ハッキリしないから使うのだろう。そもそもエコロジーとは、というのも良く聞かされるが、もういいという感じだ。立花隆氏の本で充分勉強した気分。これでだけエコが並ぶというのは、結局の所、今の暮らしはエコじゃないな。そうみんなが思っているからだろう。だけど、エコはいいことだから、お奨めします。といった程度ものだろうか。
たぶんエコは、一歩手前のイメージがある。本当に環境の事を考えれば、車など載らなければいいのだが、エコカーだから、バンバン乗るという感じじゃないか。恐いのは電気がエコエネルギーだというイメージ作り。東京電力社長の勝俣恒久氏はCO2の排出権取引を、幻想だと言い切った。福田首相が折角、東電の為にエコエネルギーに原子力を入れてくれたのに、東電は一体何が言いたいのだろう。何とも政府の事情も理解しない、商売人のようだ。福田首相が排出権取引を言うぐらいしか、サミットでの議長国の顔がないのは、誰の目にも明らかだろう。せめて、サミットが終わるまで待つのが、武士の情け。オール電化住宅を大いに進めているのは、東電じゃなかったか。お尻を拭くのまで、電気がなければ出来ないようにしようというのは、一体誰か。尻拭いは誰がする。
農業だって、政府が進めているのは、大規模化の工業的農業。巨大な機械を使えば合理的という農業じゃないか。大いにエネルギーを使う。一体何処がエコロジカルと農業が繋がるのか。冬にトマトを食べたいように人間の方を、変えておいて、それから商売が始まる。より甘いりんごを作って、国際競争力があるとか自慢して、農薬がなければ、作れないようにする。どどのつまりは、遺伝子組み換え作物が、世界の食糧危機を救う。と主張する。世界を食糧危機にしているのは、張本人のアメリカのエネルギー政策ではなかったか。結局儲ける為に、競争に勝つために、実は競争を作り出している。競争するのが一番エコじゃない。エコって、競争しないという事じゃないかな。人に勝ちたい、と言う様な、さもしさを乗り越えるのが、一番大事。
エコって人間の基本的、性能のようなものを変えようという大変な事。そこがエコの原点。うちのエコ住宅は、ここが売りですよ。というような精神を、人間が本当に捨てられるのだろうか。なかなか難しい。それならせめて、怪しげなエコは止して置いた方が安全。エコって出来るだけ家を造らないことなのだから、今ある家を、どう大切にするかの方へ考えてもらいたい。というような具合に、商売をどれだけ止めるかが、結局エコ。もしエコを掲げるなら、商売の競争も止めるというような、資本主義の根幹を否定するような事に成る。深刻な根本な事だと考えて欲しい。ある調和社会を、目指さない限り、エコなどない。それは不時着地点だろう。ドカンと落っこちないための、空き地を早く見つけるという、辛さに耐える以外ないのだ。エコロジーを考えたら、エコを使えない。
昨日の自給作業:代かき、畦塗り、苗取り、7時間 累計時間22時間