チベットの緊張
中国の不思議な状態を、見てきて。何時までもこのままと言う事はないだろうと、見ていた。今起きている事も、本当の所は判らないわけだが、富裕層の存在する共産主義国家、というものがどれほど不愉快な社会か。そう長続きするものではない。有能な上層部が、この巨大な国をどんな舵取りをしてゆくのか、他人事で無く見ている。餃子事件での中国の対応は、予想通りだ。この対応が普通の対応なのだ。日本がこうした時うろたえてしまうのは、日本が特殊な国と言う事だ。国としては、あくまで否を認めない。隠し通す。そうしたものと思わなければならない。だから、食料という、国の根幹にかかわる重要事項を海外に依存する国家は、危うい振り子にしがみついた状態と思わなければならない。これは軍事を持たないリスク以上の、国家安全上の危機だ。
中国人は独立心が強い。一族主義的だ。宗教心は薄い。国家意識も弱い。どのように国家を運営してゆくのかは、極めて困難だろう。いつかは大きな破綻が想像される。もちろんその前に手を打ちたいのだろうが、現政権の能力しだいだ。閉じた国であった頃は、国内での少数派に対する弾圧。あるいは反勢力に対する弾圧。これが極端なものであっただろうが、見えなかった。しかし、国を開き、オリンピックまで開催する。その実態が、世界の目にさらされている。世界の皮肉な目は、人道的とか言う建前論で、中国政府をあらゆる場面で攻撃するだろう。それは中国で人権が守られているいないの問題ではなく。中国の巨大化が、あらゆる国家にとって、影響があるところから来ている。そんなことは百も承知の中国だろう。
ロシアがソビエト連邦であった頃。独立運動が常に繰り返されていた。そして独立した。ソビエトは崩壊したように見えたけれど、ロシアは豊かになった。正直抱えていたお荷物を下ろせたのだ。あれほどの資源大国が、経済的に苦しかったのは、周辺の生産性の低い地域を、維持せざるえなかったからだ。経済だけを考えれば、僻地は要らない。まして異民族の住む地は、負担になるのは当たり前だ。その当たり前が、上手く行かないのは旧ユーゴスラビアの悲惨な結果を見れば判る。独裁者と言われた、チトー大統領がいた間は、平安が維持された。何故、チベットを支配したいのか。何故、国家は優越したがるのか。国は小さい方がうまく行く。少なくとも単一民族の国家の方が、安定する。
チベットに高原鉄道が出来た。青海省西寧とチベット自治区首府ラサを結ぶ、最高地点が5072メートルという、信じがたいような高い所を行く。一度入ってみたい等と、のんきなことを思っている、NHKに作り上げられた、おめでたいシルクロードファーンも多いい事だろう。私もそうではあるのだが。これは、チベット支配の為に作られた鉄道と考えた方がいい。出来てから1年半。漢民族のチベットの経済支配が、一気に進んでいるに違いない。軍事的にも、対インド、パキスタン、に対する国境線維持のためには欠かせない鉄道。チベットの文化は、特に宗教は危機に面している。毛沢東と、ダライラマを、同列に考えろ。それ以上に、ダライラマを忘れろ。そう言う事は歴史上できない事になっている。弾圧されれば強くなるのが、宗教。富裕層のいる、国家主義。これは賄賂の横行する社会に成る。権力者の末端は、いかにも弾圧的になる。チベットの置かれた状況が、どれほど困難なものか、おおよそはわかるだろう。中国政府の能力が試されている。