「野菜の自然流栽培」
「野菜の自然流栽培」という本がある。春に成ると必ず取り出す本。山で開墾を始めたころ、買った本だ。どうやれば、大根が作れるか。どうやれば、ジャガイモは作れるのか。そう思って買った。人に教わるというのは嫌いだし。本に書いてあるように、素直にやる性格でもない。そんな、素直でない人間でも、この本だけは、何度も読み返した。今も読んでいる。この本には、竹熊宣孝氏が推薦の言葉を書いている。竹熊先生は地湧社から沢山本を出されている事もあり、こちらでもお話を聞く機会があった。すべからく人間の事を、考えておられるかただと思った。農業にとっても大切な方だと思う。古賀氏は、その菊池養生園での農作業の助言なども、されてきた方だと聞いた。大根は何時蒔けばいい、と言う事より、大根がどんな植物かを理解する事を重んじている。
大根を知る事から、むしろ自然というものが見えてくる。そんな本なのだ。その深さが、実践を通して見える。だから、繰り返し読んでいても、ある時はたと、このことだと気付く事がある。例えば、何度も何度も清和村の事だと言う、ことわりが入る。そうだと判っていても、書物では間違いが起きるだろうと、心配をされているのだ。『春は染井吉野の開花で、一日の平均9~10度以上に気温が上昇した事がわかる。』美しいものの見方じゃないか。こんな風に自然を見ている姿がいい。『初夏を知るのは、フジの花で、20度以上で咲き出す。』この自然観察眼の大切さを教えてくれる。あなたはあなたの地で、あなたの農の暦を作るのですよ。この視点を学ぶ。こうした事は、常々測定をしなければ見えてこないことだ。科学的分析による、名人芸の技術化。
自然に従った農業をしていて、又新たに始める人達を見てきて、農業は出来る人と出来ない人が居る事がわかってきた。手間暇ばかりかけて、ともかく理屈はあるが、作物が出来ない人。大雑把で、繰り返し同じ過ちをする人。根気が続かない人。そして、最も重要な所が、自然を見れない人。自然を感ずる力が、農業では、何より大切なようなのだ。日々日々、自然の真っ只中で、生きること。冷暖房の家に暮していては、ちょっと自然農業は難しいような気がする。そうだ、工業的農業の方に行くのだろう。ビニールを多用し。化石燃料を大量消費しながら、自然破壊的な、収奪的農業を展開するタイプだろう。自然の中に生きること、この実感に満ちた本が、『野菜の自然流栽培』なのだ。だから、ウドの作り方を読んでみる。『親株を掘り上げてみると、小さな新芽が顔を出している。そのとき、芽は何本もでているが、親株を5センチの高さに切り、根を30センチの長さに切りそろえ、新芽の中で太くてよいものを、1と株に2つほどつけて、株分けをする。それがおやかぶになる。この作業の時は、良くきれる出刃包丁を使った方がやりやすい。』
そう3月今の時期だ。自分でウドを掘り上げて、なるほど新芽が出ていると、確認してみると、段々この本のすごさが判ってくる。すごく硬いものなのだ。出刃包丁でスパットやるしかない。本から学ぶというのは、実はやって見ない限り、半分も判らないものだ。所がやってみてその事実に突き当たった時、自然の見方の立ち位置が、確認できる。それが農の階段の一段登ることだろう。その感じが把握できれば、どの太さなら、どんなウドになるか。どんな芽なら、消えてしまうか。観察が、一つ深まる。この呼吸の有り方を教えてくれたのが、この本だ。だから、古賀氏から、絵の事も教わった事になる。私の絵が少しよくなるのは、きっと、畑が少し良くなることだろう。