久野里地里山事業案
小田原漁協(神奈川県小田原市)も冬から春にかけ、アンコウを水揚げしている。ところが、捕獲量が一番多くなる三、四月は鍋シーズンを外れ、市場では値崩れを起こし、「雑魚」扱いになってしまう。同漁協刺し網部会長の鈴木喜一さん(59)は「四月には一日に二十匹以上捕れる時もあるけれど、値が付かず、ほとんど海に戻している」と話す。(東京新聞の記事)この記事を見て驚いた。何と言う残念な事を小田原では、長年してきたのか。こんな大切な地域の資源が、見過ごされてきている。何かと何かが組み合わされば、立派な名物が出来る材料だ。現在これが、川崎の方の韓国料理屋さんで、『アグチム』と言う料理にしようと企画しているらしい。確かにそれもいいけれど、何故、小田原でそういう取り組みが出来なかったのか。小田原にも立派な料理屋さんが沢山ある。韓国料理のお店もある。
地域の良い繋の、見直しががあれば、何かと何かの繋がりがみつかり、産業化できるものは、無尽蔵だと思う。東京を中心に暮す、2千万人が何処か週末散策しようと思ったとき、小田原は格好に位置にある。平塚や、茅ヶ崎では街の空気が、自分の暮している都会と似たような空気だ。小田原は違う。これが何より人を引き付ける、小田原の一番の材料。お城を見て、文学館から、海岸。街中の散策でも、沢山ある街角博物館のように、他の街にはない魅力があふれている。ちょっと外まで出れば、それは、本当の農村になる。一面の田んぼなど、見方を変えれば観光資源なのだ。早川のほうの山に登れば、これほどの海の景観は関東には他にない。(関東以外には沢山あるのですが。)風景を長年描いて、断言して良いと思う。これからの時代の求めている材料は、視点を変えれば、小田原にはあふれている。
私はどちらかと言えば、悲観的に物を見るタイプだが、小田原の環境要素の豊かさについては、可能性を十二分に感じている。しかし、その可能性は何かと何かの繋がりが、生まれてこそのものだ。現在、久野では「里地里山」つくりを行政、住民が集まり検討している。先日の集まりでは。行政が事業計画案を作るが、それで構わないかと、行政から提案があった。参加者の大半が、それでいいという事だった。お茶を濁して終わりになる結果が、おおよそが見えた。今までと同じ事だ。これでは、従来どおりの、ことになる。市民参加が自治会の行事と同じで、行政の作ったレールに従い、一応行いました。その先が見えて来ない。どんなにつたないものであれ、地域の住民が主体となって、事業計画を立てるようでないなら、そうした主体性がないなら、里地里山の再生などありえないものと、考えなくてはならない。
つまり、地域住民の本音としては、里地里山の再生など、不可能だと感じているのだと思う。少なくても、現在の行政のかかわり方では、とても出来ない。また、自分達の忙しさから、とてもこうした事にボランティア的に、かかわることにも限界がある。これが現実なのだと思う。だから幾らぶち上げても、活動として、成立する実感が出てこないのだと思う。結果、行政の顔が立つように、一応の活動は付き合う。又、それを利用して、困っている事の1つでも片付けばありがたい。それで終わりでも仕方がないのでは、このぐらいの気持ちなのだと感ずる。久野の里地里山の豊かな可能性が、まだ繋がっていないだけだ。それが見える形になれば、少なくとも未来に繋がる活動が出来るはず。そこで、「久野の里地里山の事業案」を私に書かせて欲しいと思わず発言せざる得なかった。既に書き始めている。ともかく当面、これを全力でやらなくては成らない。