水彩人の個展
水彩人の仲間の3人が、個展を行っている。よくみんな個展をやるが、3人が重なるのは、ちょっと珍しい。小笠原緑さんが、日本橋の三越の前の千葉銀行のギャラリーだ。広いスペースで、思い切った発表が出来る会場だ。千葉在住の作家の個展を長年継続的に行っている。銀行が行うギャラリーは、水彩人の使う東和銀行のギャラリーが、銀座にある。案外に少ないのが、日本の銀行らしくて、横浜銀行が、神奈川在住の作家の発表の場を、別に絵画に限らずとも、銀座に運営するようなことがないのだろうか。私が、カトランの絵を知ったのは、三菱銀行のカレンダーだった。今から、40年位前の事だ。その後ギヤマンや私のパリで教えていただいた、ザバロ先生の絵などが、日本に紹介されるようになった。私が知る限り、最初が銀行のカレンダーだった。カトランのこの花の風景画は、今どうなっているのかと尋ねたら、銀行が購入して、カレンダーにしたとの事だった。
小笠原氏の絵はその本質が見えてきていると思った。これは作家としてすごいことで、その体質なり、本質が、制作に現れてきている人はごく希なことだ。日本での制作は模倣が基本だ。芸術を伝統工芸のようなものと考えているのかと思う。作家の魂はその作品としての熟達の上に隠れるように、在るべきものと考える人が多数派。所が、それは屏風や襖の事で、作家の哲学というものは、そうした装飾とは、縁のないものだ。では、立ち現れた、小笠原哲学の本質とは何か。無限の混沌。切りの無い、自問。存在の確認に至れない、虚無。自己の内部的空白への絶望。こうした、感情的に見える言葉を、形式的なものに置き換えようとしてきた、流れと。肉声的な逃れ切れない情緒性の、混乱。
銀座に行き、モテキ画廊での疋田利江さんの初個展。何故個展をしないのだろうと、長年思っていたが、満を持しての発表。ああ、疋田氏の絵が、おもぼろげながら現われ始めていた。その人が現われる為には、色々の事を捨てなければ成らない。努力して覚えたこと、慣れ親しんだこと。大切なこととして学んだ考え方。その中から、自分でないものを剥ぎ取ってゆくこと。それを教わったように思う。覚えたものが多ければ多いいほど、捨てなければ成らないものが沢山ある。もしかしたら、捨てた後何もない、猿のラッキョ。誰もが何もないのが当たり前。この当たり前に至ることができないから、装飾絵画に逃げる。
一枚の絵画廊での、大原裕行氏の個展。広い会場が所狭しと絵が並んでいた。この人を見ていると、私たち世代とは明らかに、異なる発想に立っている。団塊の世代までの制作は、本気モードに入れば入るほど、内向してしまう。制作が内部的であれば、本質に近づいたような錯覚が起こる。より内部的であることで、社会的な大きさに対峙する精神のような、姿勢がある。しかし、大原氏は違う。違うらしい。この違いが私には、距離があるわけだが、何か期待値でもある。大きな作家人生で、第一段は通過した人だ。これからは何処まで沈みこんで、深い制作に沈潜できるかが、とか言う事が、団塊の世代の発想になる。きっとまるで違う展開になるのだろうと、ただ、見させてもらっている。
その後、日本橋の兜町に戻って、水彩人センターの下見に行った。みんなはどう考えるだろうか。私にはそこではちょっと運営が難しいように見えた。画廊的利用。研究室的利用。たまり場的利用。どちらにももう一つに思えた。むしろマンションのような所の方が、いいかもしれない。