水彩人展搬入

   

昨夜の月は明るかった。やっと秋らしく夜は涼しくなってきた。昨夜は仲秋の名月。外を歩いても、明かりがいらない位だった。虫の声も盛んで、朝になっても、まだ鈴虫の声が聞こえる。以前我が家でメダカの集まりをしたとき、この家には3種のこおろぎがいますね。と高橋さんが言われた。コオロギ科の3種であるなら、鈴虫も、マツムシもは入るはずだから私でも何とか分かる。コオロギそのものとなると、エンマコオロギ、カマドコオロギ、位しか名もしらない。コオロギ養殖と言う仕事がある。熱帯魚屋さんで、餌として売るのだ。以前、茨城の方の人で、松林で養鶏をやると言う人が、訪ねて見えたことがある。コオロギ養殖をして、鶏の餌にするといわれていた。もちろん、人が食べていたこともある位だから、できれば素晴しい養鶏だ。アジアではコオロギの闘虫というのかな、戦わして賭け事をする。虫の音を競う本道の方も、もちろん盛んだ。

昨日夕方になって、突然星崎さんですか。と言う電話があった。これは、絵の搬入の人だなとすぐ分かったので。「違うけど、そうですよ」と答えた。「あっ間違えた、次の人を電話しちゃった。」と叫んだ。「明日絵を取りに行きます。」と言うのだ。そう言う事だろうとは思うが、きっとのんきな人だと想像する。絵の搬入で明日取りに行くと言われて困らない人がいるだろうか。第9回「水彩人展」が10月5日(金)から14日(日)9時~5時東京都美術館である。まだ、額装をしていない。でも絵の方はだいぶ前から出来ていた。今回はシリーズで6点の組の作品だ。大きさは中盤全紙。陳列の状況次第では、5点の展示になるかもしれない。都美館でやることが決まった時から、考えていたものだ。

水にまつわるシリーズだ。水彩画だからという訳ではないが、「水」の表情は興味がつきない。大地から湧き出る、湧水。水源の池。急流。中流域の流れ。河口付近。そして海。どの場面でも、実に自由で何物にも適応する。適応しながら、かかわるものすべてを豊かに変えてゆく。育ててゆく。水はいのちの源。生命の象徴。この全体性を捉えられればと、シリーズで描いた。田んぼの水は今回の中にはない。田んぼを描くと、水よりどうしても稲に目が行く。水は、無為な、遊んでいる方が、その本当が見える、様な気がするが。それにしても水は形がないから、映る影だったり、当る光だったり、その周辺にある事物であったりする。この在り様が面白いし。たぶん大抵の事は、そんな形で周辺から見て行くものなのだろう。

こんなことを考えればおかしなことだけど、東京都美術館で自分の絵を展示するのは初めてのような気がする。いつもは、「公募展向けの絵」を出してきたような気がする。もちろん同じつもりで居たのだけれど、結果的には何かしら不具合があって、自分の絵とはどこか違う所があった。今回は、全て自分のものとして、描いて見た。何といえばいいのか、発表しないでもいいような感じで描いたものだ。理解を求めて描いたというより、自分が確認したかったので、描いておいた。と言う方が近い。そういうものを見てもらうのもどうか、と言われればその通りなのだけど。本当に申し訳ないことなのですが。絵を発表すると言う事の意味。そもそもこれが、不明瞭。そうだ。思いついた。私の絵はブログのようなものだと言えば良い。公表日記。絵は現物なので仕方がないので、展示はする。展示していることも案内も出す。

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