賞味期限切れ

   

ヤクルトが賞味期限の迫った商品を、一反回収しすぐに飲んでくれるところに回したと言う事が、報道された。子会社がしていたが、本社としては今後こうした事は一切起きないように指導したそうだ。以前回収した期限切れ牛乳を再販売して問題になった牛乳会社があった。不二家では、消費期限切れ牛乳利用で問題になった。こんな風に表示を変えると、おかしな事になるよと、10年ほど前法律が変わるときに、心配した。以前は製造年月日表示だった。卵なら、生まれた日を書いておく。ところが、これを賞味期限表示なら、3ヶ月冷凍保存しておいて出荷して、あと1週間を表示する。問題なく食べれるのだから、いいだろうという訳だ。実際にそうした冷凍卵は幾らでもあって、スーパーの安売りなどに利用されている場合もあるかも知れない。

ヤクルトのやり方は、全く問題ないし、むしろすばらしいと思う。食べ物を廃棄しないで、大切にしようと言う事のどこが問題なのか、まったくわからない。製造年月日をやめた背景には、食品の多様化、例えば、低温殺菌牛乳は消費期限表示。普通の牛乳は賞味期限表示。こう分けた方が親切だ。という考え方なのだろう。食品の姿が、実際に食べる人から、みえにくくなったと言う事が背景だ。同じ牛乳でも、例えば、「舟原牛乳」があるとしても、もしかしたらオーストラリアの脱脂粉乳が混ざっているかもしれない。背景には価格差がある。牛乳は今は国内産も余っている。ありえない様な低価格で売られている。それより更に外国では半値だ。そんな状態だから、無理やり学校給食に義務化している。としか思えない。ともかくヤクルトが腐るなどと言う事では、お腹の中で生きてない。

企業はイメージのほうを重視するから、ともかく低姿勢で謝ってしまう。不二家の二の舞に成りたくない。食べ物を大切にするすばらしい企業だ。と消費者が考えるなどとは思いもよらないのだ。消費者は実際そういう風に愚かで、企業をだめにしてきた。「食べ物は自己責任」本来自分で作るべきところを、怠っているから、買う事になっている。食べられるかどうかは、食べる者が考えるべき事。そして、訳のわからないものは食べない事。できる限り生産現場を見ること。生産者の人柄を知る事。そんな事はしている暇はないから。というなら、怪しいものを食べたからと言って、それでお腹を壊したからと言って、お腹が痛いのは自分だ。我慢した方が、いい。

と言いながら、そもそも牛乳は飲まないほうがいいと思うし、ヤクルトは飲まないほうがいい。と考えている。牛を飼い、牛の生産物を食べるのは、牛を飼う事しかできないような地域でやるべきことだ。今、田んぼで、牛の放牧が行われている。こんな事では、ご先祖様に顔向けが出来ないだろう。申し訳ない限りだ。放置された植林の山に放牧するというのもある。これもなんだか情けなくなる。日本で畜産の適地は、少ない。牛の放牧しか出来ないようなところは、岩手のやませの吹くあたりとか、北海道の一部とか。本当に限られている。でも山村の実情は、それどころではない。毎日一つの集落が日本から消えていっている。1戸だけ残った集落とか。無人集落つまり人はすでに住んでいないが、何らかの集落形状が残っている。夏の家として利用とか、畑だけあるとか。ご先祖様には申し訳ないが、牛を田んぼに放牧させてもらう事をお許し願うしかないとなれば、厭でも牛乳を飲まなくては成らないが。

 - 身辺雑記