松坂屋での大原裕行展

   

新国立美術館での初めての展示を行った。当然の事だけど、それは様々な問題があった。来年の為にもこまかく整理して欠いておきたいと思っているが、それよりも、印象の強い内に書いておきたいと思う、展覧会の事。大原裕行氏は40歳だそうだ。絵の世界では若手。水彩人の仲間であるし、水彩連盟の仲間でもある。今注目されている一人だろう。彼は大きな水彩展を何度もしてきたが、今度の展覧会は画期的なものになると思った。嬉しかった。嬉しくて昨日は遅くまで飲んでしまった。絵が正面から描かれている。面と向かっている。これからが困難な道になるのだろう。隣で一緒に飲んでいた絵描きが、癒し系の絵の事を批判していた。手の上で玩弄するような絵画。こんな物が何に成るか。同感だった。本当の絵画のちょっと手前で、小手先仕事というか。手馴れの仕事に見せると言うか。絵画が何たるものかまでは、進めようとしない。

商品絵画の時代。インテリアとしての絵画の時代。その真っ只中で生きようとしている。大原さんが真っ只中から切り抜けようとしている。今までの作品が彼の助走であり、試作であり、木刀での戦いであったとするなら、いよいよ、真剣勝負に入った。と言うような事は私の解釈で、大原さんの展開はいつも予想など出来ない。おもしろい絵描きを総なめにしてきたような、変遷をしてきた。総なめであって、受け売りをしてきたわけではない。材料としてきたような絵だと思ってきた。だから、やるなー。と言う事で、絵画として参っていたわけではなかった。ところが、昨年の水彩人の作品で、一本取られた。そんな大上段に振りかざした絵を描いた。でもまだ、彼の本気を疑っていた。ところが、今年の描いた2点。「骨董市」「ピッツア・マルガリータ」はすごい。

人間大原裕行が画面に現れている。彼は優れた戦術かだから、まさかこんな絵を描くとは思わなかった。これは本当の絵の道であって、今までの事を全て後和算にしながら進まなければならな仕事だ。文人画風とか、誰々調とか言ってられない。いまだ見たことも無いやり方以外解決の無い場所なのだ。だからこそ、絵はおもしろいのだが。成果も評価も無い道だ。もちろんこれも勝手な解釈で、彼はすでに何者にも影響すら受けることのない場所に立つたのだから。周りが何を言おうとどうと言う事は無い。しかし、彼の変貌に、一人の作家が立ち上がることに立ち会えたことは、ありがたい喜びだ。昨日は酒を飲んでいて、嬉しくて涙が出た。昨日は珍しく、大先生や、評論家、作家仲間が、本音で絵の話しをした。

林建造先生が、居られた事も良かった。先生は90歳だ。それで夜中まで一緒に飲んで、絵の話を楽しくされる。それもまた、全く我々を同じ目線でみてくれて、えらぶるところが全く無い。実は私が水彩連盟に絵を出した一番の動機は、林先生の石神井公園のお宅を、厚かましくお訪ねした事に始まった。先生は金沢大学の教授だった。私が在学した時に葉、確か御茶ノ水大学に移られていた。その殆ど縁ともいえないものを頼りに、絵を持ってお伺いした。その時に、先生は自分の描かれている絵を見せてくださり、自分がどんな暮らしをしているかを、見せてくれた。そのことが、水彩連盟に絵を出品し、今に到る事になった。先生は大原さんの絵を見せてもらえて、こんなすばらしい一日がもらえた事は、人生の極楽だ。こう言われた。私にもそうだった。

 - 水彩画