人間の尊厳
CAPに参加されている皆さんから、心のこもったご意見をお寄せいただき、少し考え方、書き方が安易であったかと反省しています。先日金太郎自然塾の活動に参加しました。ここは、グリーンヒルの奥にあり、山と接したところに住まわれているご夫妻が、自分の子供達と一緒に近所の子供達を集めて、みんなで自然の中で遊ぼう、という活動でした。それがもう、25年も経ってそのときのお子さんに、子供が生まれ、4月からはお孫さんが仲間になるそうです。あしがら農の会でも、田んぼによっては子供達が参加します。坊所にも子供が来ます。そこで、一緒になって農作業をします。子供がいることが、作業にとってプラスになるように心がけます。小さくて何も出来ない子供でも、そこで遊んでいてくれる事が、みんなの作業の力になります。普通に暮してゆく事を深めてゆくことの大切さを感じています。
人権が侵害されていると言う事に気付く為には、大切にされていなければならない。この点を私より皆さんが深く、感じているんだと言う事は、今回良く分かりました。人権侵害がひどい形で行われている、という点では日本は徐々に深刻な状態になってきていると思います。アグネスティーでも日本での侵害事件を指摘するようになりました。立川での自衛隊官舎へのポスティングで、2月27日逮捕、拘束、3月19日に起訴され、5月11日に保釈されるまで75日間勾留された。これが2審判決では有罪。現在最高裁で争われています。イラク派兵反対のビラをポストに投函した事が、75日も接見禁止の拘留が行われるような、重犯罪と考える国に日本は成ってきている。こうした不当を許さない事が、人権を守る事だと考えています。先日君が代の伴奏を拒否した教員に対する処分へ判決がでた。最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、日野市立南平小学校の音楽専科の教諭が上告していた懲戒処分取消請求上告事件、口頭弁論を開くことなく上告棄却の判決を言い渡した。
CAPの事でした。子供は多様であり、個別的だと言う事があります。それは、自分の子供時代を思うと、普通で無い子供でした。今思っても、頭の中が渦を巻いているか、空白状態で呆然としているか。落ち着いて物を考えると言う事が、全く出来なかった。物を落とす。忘れる。落ち着きが無い。暴れる。訳のわからない、いつも収拾の付かない状態だった。多分精神科の範疇だと思います。精神科にも行きました。そこからどうやって脱したのか、それも自分には全く分からない。一人ひとり子供は違う。その一人ひとりの個性に適合したように、大切に接する必要がある。一人はその他大勢ではないこと。それこそ子供の人権を守る事だと思うのです。誰にとっても見えない部分があると思います。だから、システムで対応しないほうがいい。
「おー」と叫ぶと言う事が決まりのようです。キャーではいけない理由もあるようですが、オーでもキャーでも声を出すと言う事が重要なのだと思います。オーの場合は慣れが無いから、より練習しないといけないでしょう。こうした対応の練習を、子供達が体験する事は、確かに大切だと思います。出来れば、知ってる地域のお母さんやお父さんが行う方法がいい。対応法も地域に根ざした地域ぐるみの活動になるのがいい。田んぼの活動がいいのは、子供には子供の役割があるからだと思います。権利は子供といえどもその段階に応じた役割を果たす事で、獲得できる。自分が大切な存在であるがゆえに、役割があることを知る必要がある。これはまともな生活が存在しないと、成立しない事だと思います。応急処置もあるし、体質改善もある。