小田原にCAPを広める会
今度出来た小田原市城北タウンセンターいずみでCAPのワークショップがあった。駐車場も十分あって集まりやすい施設だ。夜も9時30分まで利用できるそうだ。この会を主催されたグループは41名いるそうだ。極めて社会的意識の高いかたがたで、日頃教えられる事が多い。何故CAPと言う活動に関心があるのだろうと不思議だと思っていた。私には子供はいないし、出来るだけ子供を人間としてみるようにしたい、と考えている。横浜から、指導をされる方が3名来てくださり、CAP『子供への暴力防止』システム、そうまさにアメリカ的なシステムの解説があった。4年生に戻ってください。と言われた。子供の頃の記憶には自信がある。嘘だと言われるのだが、ハイハイしていた頃の事も鮮明に覚えている。4年生とたどると、頭の中が混乱、爆発したような、一種の痴呆状態だった。ここに戻ったから大変、良く理解が出来なかったかもしれない。
子供への暴力、特に「いじめ、虐待」が問題になっている。これは最近顕著になったのか、昔からあったのかといえば、明らかに最近起きているものは、以前とは本質が変わってきている。俺の子供の頃は、と言う視点で教師の子供に対する体罰を、今日の目で取り上げれば、まさに日々が暴力的であったわけだが、これを現代の観点で捉えるのでは、その本質が見えない。アメリカにおける暴力の問題と、日本における暴力の問題では、状況が相当に違う。草野さんといわれる講師の方の話では、今子供に起きている暴力が原因での子供の死は2,3日に一人。と言う最悪の状態だそうだ。これは交通事故死と同じ数だそうだ。親に虐待される子供の報道ほど痛ましいことなない。辛くて聞いていられない。こうした犯罪は極めて社会的でありながら、実は個別的であること。この個別性に踏み込まない限り解決などできない。
三つの問題点を感じた。
まず、システムで人間に対すると言う事が、生理的に耐えられない。人間は極めて個別的。同じように見えて、むしろその違いを知る事が大切。一つのシステムで、解決できるのは全部ではない。問題が起きるのは、何時も全体に入らない部分だ。
次に、アメリカのCAPでは『安心・自信・自由』が子供の三つの権利として考える。この人権と言う正義が危うい事は、イスラム圏で充分証明されている。北朝鮮では将軍様に頂いた。安心・自信・自由と言うものが存在する。日本には日本の歴史、文化と、社会状況がある。叫び声は、「O-」がいいと世界共通で対応する発想は無理。いざと言う時に出る声で叫べばいい。
さらに、暴力を子供というように限定して考えるのは間違い。実に暴力的な社会になっている。学校を会社とか役所とか、かえるだけで状況は同じ。人間が疎外されていると言う事が、問題の核心。昔は体罰と言う暴力が横行した。これは軍隊の影響。富国強兵で、国民を奮い立たせようと言う、間違った国のありようの反映。
子どもへの暴力防止はどうすればいいいか。
地域を回復させる事。地域社会が子どもを育てられるような、環境を作ること。
国家が暴力を捨てること。国家が暴力で、問題を解決しようという姿勢では、子どもへの暴力も増えるだろう。アメリカを見ればよく分かる。
親がまず、子供の人権を守る事。全ての大人が先ず自分の人権を守る事、その姿が子どもの人権を守る事になる。