市民自治とは何か
上原さんの講演会をきっかけに、市民自治と言う事を、考え続けていた。市民が自治を行うと言う事は、直接民主主義で行くと言う事か。間接民主主義を現在取っている以上、仕組みとしては市議会があり、行政があり、市長がいるという在りかたは、市民自治だろう。その上で、直接民主主義的手法をどうか見合すのかと言う事であれば、これは仕組みとして議論しないとならないことだろう。
先日、元ネットの市会議員であった。松本雅子氏とこのことで考えを聞かせてもらえる機会があった。松本雅子氏は小田原の歴代の市会議員の中でも聡明さでは際立っている。現在の制度が、仕組みとして、借り物なのだ。この仕組みを暮らしのレベルで、自分たちのものにしていないのだ。こう言われた。確かに日本には歴史的に地域の事を決めてゆく方法があった。ところが、これが民主的でないという事で、現在の議会制民主主義という多数決を基本とした仕組みで、やることになった。ところが、これが部落という単位に行けば、昔ながらの暮らしぶりがあり、それに基づいた動きも存在する。例えば、祭りとか、川の清掃と言う事になれば、何か違った論理が登場してきて、それにしたがって進められる。明治政府の天皇制による統治という考え方が、西欧から移植した制度を導入する事で、それまでの日本に存在した、ものの決め方を崩壊させたのだろう。だから、西欧の市民自治を幾ら研究したところで、日本人の心にしっくりとする、地域の事の進め方は生まれないのでないだろうか。
先日私の暮す、舟原で、街灯が一基つけてもらえることに成ったという。誰かがお願いしたのではなく、市からの連絡があったのだそうだ。それで、何処そこにに付けることにした。新年会の席でこういう報告があった。自治会長にしてみれば、相談する場もないし、自治会に何かを決めるルールがあるわけでもないから、副自治会長辺りと相談して、妥当なところに取り付けることに成ったのだろう。その妥当さはさすがで、何の異論も誰にもなかった。しかし、街灯が欲しいという人の場合はどうなるか。市行政に街頭の希望を直接申し出るのか。市会議員の知り合いにでも頼むのか。あるいは自治会役員さんへか。この辺のルールがよく見えない。
話し合いの風土、これが失われた、江戸時代の日本は話し合いの国だった。これは明治に入り失われた、一番の残念な文化だ。富国強兵、帝国主義、天皇制、その間に地域にあったものの決め方、精神が失われた。これは、そもそも日本にそうした話し合い文化がなかったと考えると、今後の方向を見出す時に、間違いそうな気がしている。今、久野では里地里山作りの相談がされている。行政からの呼びかけで、少しづつ進んではいるのだが、何かおっかなびっくりで、本音の議論のようなものがまだ出てくる空気になっていない。行政にしてみると、住民主体の新しい手法を提案している。つもりだろう。ところが、それが妙に及び腰の姿勢に映る。住民主体だからと言って、行政が消極的という訳のはずがない。住民の実行すると言う事と。また別に行政には行政の役割がある。これがまだ行政にしても見えていないと思う。
行政の役割は、専門家としての知識を持つ事。例えば、この林はどのように管理してゆくのがいいのか住民が迷った時に、専門家としてのアドバイスが出来る事。地域住民が時には大きな視野を持てないかも知れない、そうしたときに、外部事例などを示唆するなど、行政の役割だろう。もちろんそのための学習の機会を作るなども行政の役目だ。更に肝心な事は、住民の自主的な活動を法的な面でバックアップしてゆく事。例えば、里山地区に里山再生の為の施設が必要という時に、どう法規をクリアーしてそうした施設が作れるかを、フォローしてゆく。市民自治と言っても、法を破ることはできない。現在の行政は、ああできない、こうできない。と否定的なアイデアには長けていて、どうやって作り出すかのセンスにかけている。これを上部行政に掛け合い、クリアーする事が役割だろう。そして法そのものに問題があれば法の改正をお願いする、これも行政の大きな役割だ。