感じる力
絵を描く上で、一番大切なことが感性である事は、大方の一致するところだろう。しかし、踏み込んで感性と言う事が、どんな感じ方をさしているのかを考えて見ると、難しいところがある。空の色を見て、感じる。たぶん夕日を見て感傷に涙す。と言うような事を感性と呼ぶ人が多いいかもしれない。
空を見て、明日の天気を感じようとする。この感じる力が大切だと思っている。空の色、雲の様子、風の流れ、湿度の状態。極めて総合的な判断力によって、明日の天気は予測できる。テレビの天気予報だって参考にはなるが、それで済ましている人では、植物を育てる力は付いてゆかない。
都会暮らしの一番の欠点は、この点だ。自然を感じ取る力が衰退してゆく。ビル風がふくだろうが、風邪に詰まっている情報が、少ないのだ。箱根から吹き降ろしている風は、箱根の様子を運んでくる。箱根のにおいがする。高い所の情報を含んでいるから、明日の為の多様な情報を持って来てくれる。強い風が突然吹く事が、頻繁に起きるようになって来た。
養鶏は、やわな小屋でやっている。雪が降れば支えの棒を立てる。雨が降れば慌てて屋根を閉める。風が吹けば、風向きによって、開放の方向を変える。いわば大きな樹木が、立っているような物だ。上手く自然をかわさなければ成らない。その為には、毎日の予測力こそ、重要だ。日和見主義者だ。大きな冒険をする者が、日よりもをしない訳がない。花田清輝氏は書いている。
スーパー銭湯へ良く行く。幸い、格安回数券が買えたので、334円位で入れるのだ。あり難い。こここのどの風呂にも温度計がある。熱い所なら、43,2℃とか、水風呂なら、18,9℃とか表示されている。良く見えないので、入った温度が何度かな。と感じる習慣がついた。後で確認するのがクイズのようで楽しいのだ。私の身体の場合、腿が、温度に対するセンサーになっている。腿さえ暖めておけば、大丈夫なのだ。風呂に入ったら、必ず水温を感じる。それで、18,7℃とか判断してから、温度計を見る。ほぼわかるようになった。コンマ以下の温度が、10回のうち9回は当る。
感じる力と言うのは、こうした実際的なものだと思う。この具体的な情報を、どれだけたくさん持っているかと言う事だ。草の匂い、花の色。稲の刈り時、追肥の時期。もう農業は、そうした力を育てる格好の場だ。7俵の田んぼと、6俵の田んぼ。美味しいお米の田んぼと、まずい米の田んぼ。これが見て解るのが、百姓だ。絵はそうした事がきちっと描いてないといけない。
そうした事と言っても、海を描くのに漁師をやるわけにも行かない。絵における具体性とは、その描く人間の思想、哲学だ。これを具体的に示す。修行を積んだ、高僧にお会いすると、その人間力の違いを感ずる。この違いが何者であるか。それを我々凡人が生きる実際の、哲学思想を、絵画として表現したい。と言う事なのだが。これが空の色として表わされるのが、絵画だ。明日の天気がわかるような。そんな空を描いて見たい。夕焼けを描いて明日も晴れる。そう言う事じゃやない。
明日に描く希望とか、夢とか、方角とか。そんなもろもろの思いが、総合的に絵に
なっていてほしいのだ。そう、そうした物が、具体的なものとして感じる事ができる。そうでなければ、絵になるわけがない。