教育再生会議
安倍政権の目玉として出てきた教育再生会議だが、尻すぼみの状況だ。ここに並んだメンバーを見ると、私のような者でも名前を良く知っている方々が、17名集まっていて、さぞかしすばらしい議論がされているだろうと思う。皮肉ではない。
問題は、この組織にたち位置がわからない点だ。中教審との関係はどうなるのか、そもそも教育基本法の改定とはどう関係してゆくのか。疑問だらけだった。始まってみると、具体的内容のない事はなはだしい。安倍政権の力のなさが、まさにこうした結果を生み出している。簡単に言えば、文部官僚に薄められているのだ。
メンバーの一人、川勝平太氏は以前農文協の企画で、相当長く農業について話させてもらったことがある。帰農を提唱していた。農的生活も実際に軽井沢でしていて、農業に理解ある、珍しい経済学者だと思った。「サラリーマン小作」をすすめることを提唱したい。日本人労働力の大半をしめるサラリーマンの間での農へのあこがれ、つまり自然と調和した生き方、家・庭一体、ハウス・ウイズ・ガーデン(家庭)へのあこがれには、根強いものがある。販売用農産物をつくるためではなく、半自給でも4分の1自給でも、8分の1自給でも、自然のなかでの自給的な「農」を楽しむために、農地を渇望しているのである。農業は専業農民がするものという固定観念を打破し、これをすすめたい。このように言われている。
川勝平太氏はその後「新しい歴史教科書を作る会」の賛同者になった。農業を周辺から眺めていると、そう言う事になりがちだ。どう言う事かというと、「美しい国」造りだ。鎖国による日本に自給体制を、世界史的にどう評価するか。このことが重要。「勤勉革命」によって成し遂げたと川勝氏は考えた。ここが違った江戸時代は暇人の時代だ。明治以降の勤勉、立身出世とは全く違う。農業イコール勤勉と考えるのは、本当に農業をやっていない人の発想だ。その辺の実際は自給を行い、鶏や、金魚を飼ってみて、解った事だ。
富国強兵思想の延長にある明治政府の再現を考えている。こういうと心外だろうし、雑な言い方になるが、土に返るとか、農本主義と言う事が日本主義のようなものにはまり込む危険がいつもある。農業と、家庭菜園とは本質的に違う。家庭菜園の延長上に農業があるような、箱庭的な農業観を形成してしまったのではないだろうか。川勝氏は教育再生会議で、食料の生産法を教育に取り入れるべきだ。こう主張すべきだ。
教育再生会議の事だった。塾の廃止が話題になった。確かにここに並ばれたような方々に学習塾は不用だっただろう。ノーベル学者は、自分でやれる。実はよく考えてみればこれは、この会議を駄目なものにしようとする、お役人のリークだ。こんなにバカバカしい話をしているんですよ、この会議を真に受けてはいけません。こう言っているのだ。報道もその策にはまり込んで、一緒になって馬鹿にしている。国民に分かり易く、教育を考えると言う意味では、いい機会ではあったと思うのだが。