住民参加と小田原城下町ホール

   

城下町ホールに対し、3つの団体から賛成の陳情が出ているそうだ。商店会連合会、自治会総連合会、音楽連盟の3団体から推進陳情が来ている。この3つの団体が、どんな推進陳情をしているのか、お聞きしたいものだ。どんな観点から、あの奇妙奇天烈な城下町ホールに賛成なんだろう。一番利用する、小田原フィルハーモニーが反対しているのに、この音楽連盟と言うのはどんな合意で、陳情をしたのだろう。聞くところによると、勝手に出したらしい。

自治会総連合が出していると成ると、これは私も自治会のの一員である以上、何らかの了解が必要だろう。この点は確認しないわけには行かない。このやり方からすると商店会連合会の方でも総会を開いてなどと言う、手順は取っていないに違いない。推進しようと言う誰かが、背景で動いているのだろう。こうした黒い手法が、古い小田原のやり方だ。ここで暗躍する、やり手が実は小田原を牛耳っている。そんな姿がうっすら見えてくる。

民主的に事を進めると言うことがない。何か闇の中で事を処理するのが得意だ。この後ろにいる総元締めが、行政であり、そのボスと言う事になるのか。一体何故、こんな不思議な城下町ホールに、こだわるのかと言えば、巨額な建築費だろう。何10億と言うお金が、無駄遣いされる建築物ともなれば、大きな力が働くのが、非民主的社会の特徴だ。行政の長が連続逮捕される原因がまさに公共建築物。談合。小田原駅前、お城どおりの再開発。これだって変な無理押しがまかり通る。

住民参加の方法が見つかっていない。音楽ホールが欲しいのかどうか、絵画ギャラリーが必要なのかどうか。住民が意思表示する活動を作り出す、習慣がなかった。小田原は市民活動は実に盛んだ。しかし、こうした市民活動と行政の関わりが上手く機能していない。行政お抱えのような市民活動はあるが、音楽関係者が市民に対し、音楽ホールの必要を訴えたと言うような事は、聞いた事がなかった。行政は市民を信頼していないし、市民の方でもいまだお上意識があり、自ら何かをする気持ちが無い。

すばらしいホールやギャラリーがあり、運営されている地域では、そうした市民的活動が、市民の中で認知されている。高崎で市民ギャラリーを作り出した、市民活動の話を聞いた事があるが、その前段となる日常活動の積み重ねがあり、立派な美術ギャラリーの建設につながった。市民も当然負担が必要だ。行政にお任せと言うのでは、夕張市のようにとんでもない物を作り、挙句は行政が破綻する。市民が何をすべきか。何を担うべきか。この所を探る必要があるだろう。

そんな事に時間を割いているぐらいなら、東京で活動すればいい。それが作家の本音だろう。そんな時間の暇は無いし。小田原で活動したところで、作家として大した箔が付くことではない。まして小田原の風土からして、よそ者がくちばしを挟む余地が無い。そんな事をしている間に、絵を一枚描いたほうがいい。これが普通の気持ちだろう。正直流れが滞っている現状ではそう考えるのも無理は無い。

芸術を志す者がそれでいいのか。内部にそうしたいい加減な、ご都合主義を抱えて、本当の制作ができるのか。自分が暮し、生きる。この場所で出来る事、これが全てでは無いだろうか。そう思い始めた。確かに商品絵画の時代に生きることは矛盾に満ちている。絵画は個人のものに変わり始めている。このとき大切に成るのが、地域のギャラリーだろう。地域に本物のギャラリーが存在する事が、重要さを増してくるだろう。

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