めだか市民会議
めだか市民会議があった。小田原市と環境保護団体と地域自治会と学校関係者で出来ている。この会議の性格が話された。話がそこに踏み込むように議論を誘導した。その事を、正面から出だすと、次回送りにされそうだからだ。小田原は神奈川県唯一の野生メダカが生息する。唱歌「メダカの学校」が作られたのも、小田原だった。そんな事から、メダカが段々取り上げられるようになった。一般にはこんな風に理解されているのだろう。
これは、山田純さんの仕組んだ事だ。メダカではなく、はじめは桑原の自然環境の問題だった。山田純さんはコーディネーターと呼べばいいのだろう。農の会もコーディネートしたのは山田純さんだ。現在は国民森林会議の事務局長をされている。彼を最初に目にしたのは、山北の奥に産廃の処分場が出来る問題で、反対の活動が始まった時だ。この活動をコーディネートしていたのが、山田氏だった。この地域の活動を様々に立ち上げていた。この地域で起こることは全て自分の家の庭で起こることだと考えている。こう宣言していたので、大いに期待した。やっと、定時制高校の教師を退職し、いよいよ地域の問題に取り組むだろう。と思っていたのだが。国民森林会議の事務局とその関連の仕事で、地域での活動は少なくなってしまった。庭は荒れている。
最初はめだかの事など、目立っていなかった。たまたま、メダカがいて、それを新潟大学の酒泉先生に遺伝子的に特定をしていただいた。その頃、メダカが希少生物に入った。これも実態から言うと色々異見があるのだろうけれど、「レッドデーターブック」と言うのが国際自然保護連盟で作られていた。それの日本版、神奈川県版がある。そこにメダカが入った。ここにもコーディネーターがいるのだろう。何処にでもいためだかさえいなくなる衝撃。
桑原の都市計画道路の問題だった。工業団地が出来、道路が出来、桑原の農村環境がどんどん壊されていった。これをどう食い止めるか。その環境保全活動を、めだかを看板にして、枠組みを構築した。今は市行政、県行政も動き出しているが、ここまでが大変だった。もちろんこの枠組みをコーディネートする事が大変だったのだが、私個人としては、行政に信頼がもてないから、行政と共同する事は賛成でなかった。
結果は今の状態で、それなりに良かったと言う判定と、やっぱりだめだったと言う判定があるだろう。ビオトープとしてのメダカは残りそうだ。そういうのを野生メダカと言うのだろうか。桑原の農村的自然環境は今後崩れてゆく。行政としてはやれるだけはやってくれた。しかし、だめな工業団地計画と、都市計画道路が出来る事で、あの貴重な自然が、消えることは致し方ない。
農の会として農村環境が維持される為の努力はしたつもりだ。しかし、田んぼがなくなることを食い止められなかった事には、責任を感じている。これから、道路が完成し、一年一年田んぼが減ってゆくのを見るのは辛いが、いくらかでも、この酒匂川の左岸に残された、不思議に豊かな自然環境が、残される仕組みを作りたいと思う。市民メダカ会議が、それを担う機関になる。しっかりとした、形を作らないとならない。
4月1日にはめだかサミットがある。桑原で見学会を準備している。