ブログの意味
ブログを始めるきっかけになったのは、ピースカフェの集まりでした。紙面で載せきれない物を、量とニュアンスをどうやって伝えてゆくか。前から、「LOGOS」というブログをやっていた、Takeさんから、ブログに書いてみたらどうですかという、提案があった。
あしがら農の会にしろ、ピースカフェにしろ、今までなかったものを発想している。こうした場合、活動を理解してもらうことが中々難しい。もしかしたら、ブログ集が出来れば、この考え方の違う者の集まりが、全体として何となく方向を持っていて、共通とも言える感性のあり方が、伝えられるのかもしれないと思った。
すばらしい例が、 「うろこ玉絵日記」の世界だ。この感覚で伝わってくるものは、見る人読む人で、夫々だろうが、明らかに新しい表現世界と言っていいと思う。確かにこのブログを、絵本にして、発行すれば、すばらしいだろう。高い評価も受けるかもしれない。しかし、リアルタイムで、この何ともいえない世界に出会える面白さは、絶対に他の手法では実現できないだろう。
「ケイトラカフェ出没中」というブログがある。これまた、すばらしい美文だ。詩文といった方がいいか。しかも、農作業をする、若い人達の日常が、今の今生きている姿が、伝わってくる。何か、尊い物を学ばせてもらえる。
チョロリさんの「ちょろり!NewsReport」の独特の感覚は、どこかはっとするところがある。写真や絵の美しさが加わり、並々ならぬ才能を感じる。繊細な切れそうな鋭さ、がどこかにおってくる。こうした人の日常を垣間見れる事は、他ではありえないことだ。
「ムーチョ・ササキの塾長日記」
を読んでみてください。抱腹絶倒疑いなし。若いお父さんが、塾長として、日々奮闘する姿が、なるほど、なるほど、と伝わってきます。
うちの奥さんも忘れるといけない。 「猫と彫刻と鶏と」何とかカントか書いているが、世間に対して書くことは,大変制作にいいとおもっている。書くことで、自覚的に成る。彫刻を何気なく作るのでなく、何故作るのかという事が確認される。
もちろんどの文章も、私の今書いているものも含めて、創作だ。作り上げた世界でいいと思う。でも創作されたものに、その人の世界はやはり現れている。それが創作だろう。うろ子さんがそんなに飲ん兵なら、一緒に飲んでみたいと思う人もいるだろうが、一滴も飲まないのかもしれない。
しかし、こうやって、ピースカフェのブログ集を辿る事で、その他の方法では、どうやったって表す事のできないと思われた、ピースカフェで伝えようとしている方角が、私には見えてきます。多分、この人々に一度も直接は会った事の無い人にも、この空気が伝わってゆくと思うのです。実に伝えにくいことが、何となく伝わるかもしれない、と思う部分がブログにはあるのです。
実は多くの人は農の会の人でもあります。農の会が目指すところも、伝わっていると思います。ブログは夫々が、自分の責任で書くものです。何処からの指示もありません。日本は今のところ全く自由です。
アクセスは、少しづつ増えています。ピースカフェという連携で、公開してゆくことで、個人の小さな発信が、もしかしたら、大きな情報発信の、新しい方法になるかもしれないと思っています。