叢林生活
世田谷学園では、夏に長野県茅野市の頼岳寺で叢林生活が行われる。私の禅寺体験もここから始まった。叢林とは禅の道場のことだ。私が始めてこの寺に行ったのは、高校1年の時だった。叢林生活に参加する条件は、得度を受けているということで、私は祖父の元で、剃髪を行い、僧侶になった。それなりの覚悟のつもりの事だったので、緊張を高めて頼岳寺に向かった。
あれから40年以上が経過して、世田谷学園の校長から、鶏の屠殺解体の指導をして欲しいという依頼があり、久し振りに頼岳寺に行くことになった。
禅寺での生活は、高校生といえども、全く僧侶と同じで、これは慣れるまでは相当に厳しいものだったが、今ではどうやっているかは知らない。当時は苦行的要素のバカバカしさをどうやり過ごすかを考えていたと思う。
その後寺と離れるには、それなりの経過があったのだが、私自身は曹洞宗の僧侶であるという意識からはなれたことは無い。寺というものの存在があまりに胡散臭くて、この中で係る事は出来なかった。世襲という事が、全く理解できなかった。
何故林校長が、生徒に鶏の解体を体験させたいか、お伺いした。命の意味を生徒に知ってもらいたい。という事だった。私も大切なことだと感じたので、私に出来る役割だと思ったので、お受けした。鶏の解体をするものはいくらでもいるだろうが、寺での暮らしの一環として、いくらかでも理解の下で、指導できるものは少ないのではないかと思ったのだ。
何故寺院で殺生を行うのか、何か不自然な感じがあるかもしれない。基本的には、寺では肉は食べない。何故か。私の育った寺でも、夕食は薬膳と言って、鶏は食べていた。4つ足は食べていけない。鶏とウサギは2本足だから食べていいと、おかしな理由づけをしていた。ほぼ自給自足で暮していたので、肉を買うということは無いのだから、当然それ以外のものは無かったのだ。
命が物になる、経過を、つぶさに体験してもらう。このことは大切だと思う。食べるという事はそもそも、命をいただくという事。この実感が薄れてゆく事は、人間が生き物であるという、基本の自覚を出来ないことになる。命の大切さと一言で言うが、これは学んで知る事である。存在の意味の確認が、禅寺での修行の一つであるとすれば、人間が、命を携えた、生物存在である自覚は、肝心なことだ。これが自覚できない暮らしでは、中空に浮き上がったような、存在感の危うさがあるのだと思う。
屠殺の指導は、おろそかには出来ない。こちらにも真剣な覚悟が必要だ。食べ物を頂く意味が、充分に理解できないまま行うと、とんでもない心理的な障害にすらなる。血という物になれていない現状では、用心深く、扱わないと大きな衝撃になることもある。これらはあくまで個人差が大きいのだが、最悪の事態を想定して、少し大げさに考えておく必要がある。
頼岳寺はそれにしても懐かしいものがある。私が首座法戦式を行ったのも頼岳寺だ。三沢先生のご子息の晋山式(しんさんしき)に伴って行った。今、その方は頼岳寺におられるのだろうか。何もかも教えていただいた、諸先輩は全て亡くなられた。その教えられた事の一部でも、又次の世代に伝えることが出来るなら、幸せな巡り会わせだと思う。