アンケートの結果報告
NPO法人にはアンケートが多いい。毎月何かしら来るといっていい。めったに返答することは無い。このアンケートが又長文で、時間がないという事もあるが、結果の返事をよこさないという事が私は失礼だと思うからだ。
全体に返事が来ないのは、大学院や大学の卒業論文のアンケートだ。アンケートをとろうというときは、それなりに熱心であるが、それが終わると、他の世界に旅立ってしまうのか、一言の挨拶も無いのが普通だ。行政のアンケートも、国から町まで色々やるが、これも結果の報告が、明記されていたことは無い。
アンケートは結果など関心の無い人を中心に書く。こういう選別の上で行うつもりという事なのだろう。又、聞きにくい事を平気で聞くのも驚くべき現象だ。財産、収入、学歴、生活の全てを聞きたいようだ。聞きたいのは判るが、それを聞くには何年もかかるということを先ず知らなければならない。紙切れ一枚で、そこまでやるか。といいたくなる物が多々ある。
そんなこんなで、今は内容も見ないで、捨ててしまうものが殆どになってしまった。ところが今来ているのは総理府の農業調査というものが来ている。これにはあれこれ書かないと、政治が変わらないのかと、思いつつ、まだ開封していない。どうしようか。
農の会でも東京大学の大学院の皆さんが、アンケートを行った。以上のことを踏まえて、くれぐれも結果の報告をお願いした。それがやっと、来るようだ。気にはなっていたのだが、来ないのかなど思いながら、言わないでいた。なんでもそうだが言ったから来るのでは意味が無い。
この農の会の調査では、開成町で研究発表会も行った。大勢の人が参加してくれて、それなりの発表会になったのだが、農の会の中ではあまり評判は良くなかった。後の茶話会の食べ物が一番良かったという調子で、つまり、農の会の展望に対して、意味ある意見が無かったからだろう。又社会的に見て、農の会のおかれている位置がもう少し分析されるのではないかと思ったが、期待したほどのものではなかった。(読まれる人がいたら申し訳ありません。)
これは以前自分達で、お願いして行ったアンケートでもそうだったが、一人の意見でも極めて、真実を言い当てていて、聞かなければならない場合もある。殆ど多数の人が言うが、当然のことを確認しただけで、余り意味が無いこともある。だから、私にはものの見える人に、状況を見てもらうことの方が意味があることが多かった。
行政が行うという場合、言い訳に使いたいからだろう。アンケートでは、こう言っている。先日、小田原市は広域ゴミ処理室から、焼却場を小田原にしたい人が、70%だという発表を行った。このアンケートの、ずるい所はここに誘導するために、その前段に、ゴミ焼却を各行政の場所で行った場合の、試算が出ている。当然小田原で行うと一番安上がりだと書いてある。その上で、何処でやるのがいいでしょう。こう聞いている。市民を相当馬鹿にしたものだ。
こんな幼稚な、誘導の基に作り上げたアンケートが、市議会の答弁に使われて、「アンケートを見る限り、市民が望んでいる。」というような回答になる。私は早速こんな発表をするようだから、久野は日に日に反対色が強まっている。こう伝えておいた。当たり前の成り行きだ。
アンケート調査を基盤に置くという学問の手法はちょっと安易では無いだろうか。マスメディアのアンケート結果の利用もどうかと思う場合が多いい。
行政は自己弁護に使う。
結局心ある人には、アンケートは止めて貰った方がいいのではないだろうか。