農の会夏祭り、続き
夏祭りは昼の部、夜の部を併せると、450人の参加になった。それは賑やかで、楽しい祭りだった。子供の頃体験した、あの祭りの待ちどおしいようなワクワク感が、作り出せたと思う。10人を越えるのスタッフそして、当日の多数の協力者の気持ちの良い、活躍でささえられた。持ち場持ち場を予想以上に充実させてもらい、気持ちの入ったいい祭りだった。
今回の祭りの一番のテーマだった、地元の方々の参加、これは上手く行ったのだろうか。コンサートの場面での参加は、比較的簡単に溶け込めるという事は判ったが。問題は、ワークショップや、屋台村をどの位、楽しんでもらえたかが、少し気に成っている。黙ってぽつねんといられるような場所が要るのかな。
自分達の祭りを作り出す。これには私達の求める、日頃の暮らしのあり方が、強く反映していると思う。私達の祭りの主要な構成要素は「おだやかな空気感」だ。ゆったりとした、縁側ののどかさ感のようなものが、作り出し、参加者と共有できるかが、大切な事だ。スタッフが用事に追われて、走り回るようでは、まずい。小宮さんが、当日は作業などせず。どしっと、接客に当たられる必要があるだろう。何故か、小宮さんに作業が集中し、肝心な指図が仰げないという事が何度もあった。
「ハレの日を設け、日常を離れるのが祭りだ」とよく言われるが。今の時代に一番味わってもらいたい要素には、この祭りを支える根底に農の会の日常があると考えている。生活の探求、私は勝手にこう読んでいるが、夫々に、日々の暮らしを持ち寄り、その集合体が祭りになるようなものこそ、求めている物ではなかろうか。一人が充実した生活を送くろうとし、その反映が、この祭りのおだやかさとして、自然に表現される事が、何よりの農の会の祭りなのだろう。
外部の人達から見れば、私達は夢の中で生きているようなものだ。残念ながら、その夢は現実の中では、中々人には伝わらない、限界がある。それをこうした祭りを通して、この空気への思い入れのようなものを、何とか伝えてゆきたいものだ。それが、集合体としてのあしがら農の会の会としてできる一番の役割ではないだろうか。
当日も雨の準備で、相当に頭を悩ませた。しかし、幸運というか、天が味方して、何とか、ぱらつく程度で乗り切れた。フォルクローレコンサートでは、最後の「花祭り」が歌われる頃には、全員が踊りだすほど盛り上がった。やはり祭りは、こうじゃなければいけない。傍観者的に、外部的に、冷静に生きている、現代社会から、一気に古代人のように、原始の生命にもどり、ゆだねる時もあっていい。来年は意識的にここに仕掛けをする必要があろう。
具体的反省点は、1、詳細説明入りの出店申込書を作る事。ドタキャンが多かった。2、前売りチケットの管理が不充分だった点。
これからやる事として、小宮さんのところの片付け。と、行政への報告書の作成。配布。だろうか。
私達は一期一会の日々に生きていることを痛感する。昨日の祭りも、こうして終わった。