NPO法人の活動範囲
NPO法人としての社会的役割と、農業者としての在り方を、整理する必要があるように、最近感じ始めた。先日、行政の人から、農の会は農業法人になるべきだ。NPO法人では活動の範囲がおかしい。このように指摘された。社会的にも、NPO法人の意味がまだ確定されていない中で、仕方が無いことだが、行政の人間でもこのように理解の無い状態だ。あしがら農の会の活動こそ、NPOらしい活動だと考えている。
農の会が、大きくなってきて、現在、200人ぐらいの規模で、動いている。収穫祭での参加者は300人をこえた。多分田植え参加者の数も、200名をこえたのだろう。お茶摘みは150名をこえた。この中で、中核農家となっている人達が、15軒ほどだ。
耕作面積で言えば、全員のものを併せると、20へクタールぐらいになっているのだろう。これは今後も増えてゆくものと、考えなくてはならない。
いずれも、私の概算で、正確なものではない。正確なところは誰も知らないだろう。名簿を作らない、集計しないと言うのが、基本的な考えだ。私達のような組織は、誰でも出入りが自由で、情報を誰には教えて、誰には伝えないというのが、難しい。そこで、情報はまとめないことになっている。
この規模の組織が、活発な活動を行っているにもかかわらず、事務局は無いし、運営はその時出来る人がやる、という姿を継続してきた。多くの仕事を、専業的農業者と10名ぐらいの協力的な人が支えている。
私がこうした組織を作った基は、新規就農者の社会的信用度を高める、という事があった。農地を借りる事など、私が始めた20年前は全く出来なかった。たまたま借りる事ができても、それは条件が悪く、継続できる状態で無かった。これは当時も地域によって全く違ったが、足柄地域では、よそ者に農地を貸すということが考えられなかった。
農地を借りる事を可能にする、これがNPO法人としての一つの役割だった、と思う。しかし、現在のように農地を個人でも借りられるようになってきた場合、この意味は少なくなってきている。
販売事業がある。生産は出来ても販売が難しい。農業者として安定的に販売を行うために、宅配事業が作られ、運営されている。今もこの役割は大きく、ここに生活の基盤を置くものは、今後も増えてゆくだろう。
NPOとしての捉え方としては、農業者として自立した者より、これから農業者として生計を立てゆこうとするものの支援だ。立ち上がりは、技術も無いし、販路も無い。一番困難な場面に直面する。これを支えて、農業者としての自立を支援するという事が重要な役割となる。これは今後も変わらない部分だ。
今までは、自分も農の会に世話になって、この地域で生計を立てようとしてきたのだから、後輩の面倒も少しは見なければならないという事が、背景にあった感覚だろう。
しかし、そうしたNPOとしての活動は、誰が行うのか。今までは、自分の生活の事なのだから、先輩農業者がやる。この範囲で済んできたが、今の規模になると、そうとも言い切れない、負担になってきている。この辺から「農の会の宅配を行う事が、ボランティアである。」こうした捉え方が出てきた。
今夏祭りの準備を始めたが、やりたい者と必要な者がやる。このように割り切りたい。当日集まって皆で盛り上げて欲しいけど。準備段階では、得きる限り農業者の負担にならないように進めたい。
やりたいけど忙しい。必要だけれど、忙しい。やれる範囲でという事になる。自分のことを考えると、私が生きているということは、こうした夏祭りを作り出す事を、喜びとしている。むしろ、それが私の生きる目標でもあるので、必要な事でもある。
必要という意味では分かりやすいのは小宮さんだろう。小宮農園にとっては、経営的な意味でもマイナスでは無いはずだ。と言って、小宮さんは経営として、この夏祭りを捉えてはいない。大井町の人達と、あしがら農の会の人達の、交流の場を作り出そうとしている。それが彼のやりたい祭りのようだ。
やはり上手く整理は出来ないが、やりたい者がやれる範囲でやるという。基本的姿勢で行くしかないのだろう。ここにNPOだから、やる義務がある。こうした考えは全くいらない。やりたくない事は拒否できる、この状態を作り出す必要がある。