村上ファンド
村上ファンドの村上氏が、逮捕される前に記者会見を開いた。何でこうした状況で、自己弁明をしたのかよく分からない。2000億円利益を上げた。とか自慢げに言っていたけれど、ただ悔しいから、叫んでいたのではないだろう。それなりの計算されたメッセージのつもりなのだろう。
「金儲けは悪い事ですか。」叫んでいた事が耳を離れない。
日本人はエコノミックアニマルといわれるようになって久しい。価値基準をお金に置く人が大半という感じだ。堀江貴文氏がもてはやされたのも、同じ流れだろう。
日銀の総裁が村上ファンドの出資していた。福井俊彦総裁はそのことを何の問題も無いと、答えている。「金儲けは悪い事ですか。」ここでもこうした声が聞こえてくる。日銀という存在は、日本経済の舵取りを独立性を持って、行っているところだろう。日限の政策によって、経済の変化は大きいはずだ。その権限を握る総裁が、ファンドに投資している事が、許されると感じている感覚が不思議だ。
堀江氏、村上氏は出る杭として叩かれたのだろうか。もう御用済みにということなのだろうか。こうした叩き方には、どうもタイミングが計られているような気がする。今犯罪として問題にされているのは、彼らの行っていた行為からすれば、全く上手の手からこぼれた事で、いつでも、失脚させる準備はされていた、ように思える。福井総裁もそうなのか。
ここには倫理観という物が、欠落している人間の姿がある。法律の範囲内なら、金儲けをして何が悪いのか。この拝金主義が日本の社会を覆っている。資本主義社会の悪い面が、如実に出てきている。村上氏の父親は小学生の村上氏に100万円を渡し、投資を奨励したという。
「金儲けは卑しい事だ。」私はそう思ってきた。そう教えられてきた。子どもがお金の事を言うと、両親は激怒した。したがって、これが普通の感覚だと思ってきた。中学生の頃の友人に、お金を見ていたらこれに取り付かれると感じて、全て燃やしてしまった、人がいた。びっくりはしたが、お金というものに対する複雑な思いは、共通だと感じた。
堀江氏はお金さえあれば、何でもできる。公言していた。なんとも寂しい人だと思っていた。人に生まれ、味合える喜びの多様さ、深さは、そんな単純な物ではないのに、と思わざる得なかった。堀江氏を若者達が英雄視し、同調してゆこうとする姿に、不安な気持ちは続いていた。もっと上手くやってやると考えて動いている人が、いくらでも居るのだろう。
経済は全てにかかわりは持つが、あくまで生産が基本だ。物を作り出す事を通して、喜びを感じる人間が、ふえてゆく事が、普通の事で大切な事だ。経済の操作の中だけで、お金を増やす事がなぜ喜びなのか不可解な事だ。社会はこの倫理観を堅持するべきだ。
「金儲けは悪い事ですか。」こう叫ばなければ居られない、村上氏は、「お前だって金儲けがしたいのだろう。」このように、言っているのだろう。
金儲けは悪い事ではないが、推奨される事でもない。少なくとも、大見得を切るほど、立派な事ではない。彼らが恥じらいの反動として、居直っているというならまだ理解の範囲だが、、本音のようなので私には許せない。
拝金主義が、どれほど、社会をだめにしているか。すばらしい若者達の勇気を挫いている事か。
あしがら農の会で出会う若者は、お金の事などまったく念頭に無い者が多い。自分の根底の方角を探って、模索している。金権主義の社会の中で、良く持ちこたえたと感心する場面がある。むしろそこから私は教えられるてきた。