グループリビング
様々な所で、新しい暮らし方の模索が試みられている。新しい家族形態、が模索されているのでしょう。
大きいくくりでグループホームと呼ばれるなかには、グループリビング・コレクティブハウス・ コーポラティブハウス・生活ホーム等がある。この国の行政の現状を思うと、自分達自身で、この先の事を提案して行くしかない。公が私達の老後に何か提案してくれるだろう、等と考えている場合ではない。そんな人もいないと思う。これが貯蓄率世界一の国の不幸だ。
ピースカフェにも藤沢の「COCO湘南台」が、グループの3棟目として、「COCO高岡」を立ち上げた事が出ていました。このグループは5棟を目標に、していた、という事を聞いたこともあります。1箇所に住み続けるだけでなく、時には他の施設に移動する自由を確保する事で、暮らしの自由度を増して行こうとしている訳です。全国では、本当に様々な新しい暮らしが、提案されています。
一体こうしたグループリビングというようなところで、幸せな死を迎える事ができるものだろうか。これが一つの課題であり、判断基準ではないでしょうか。既に立ち上がってから、7年経つCOCO湘南台ではそのような事例が、報告されています。読ませていただく限り、この施設がいかに優れた事例であるかを、しめす。安らかな空気が感じられます。
この国の年金制度は既に破綻しました。我々のような団塊と呼ばれる、程の人口の頭でっかちでは、若年層が支えられる訳も無い。国がダメなら、齢を取っても働くしかないだろう。幸い、家でやる仕事だから、身体が続く間は何とかなる。が、肉体労働である以上、限界はある。この辺が心配なところだ。
豪華客船での世界旅行など、苦しみ、という貧乏性である以上。今のままの暮らしがどこまで続けられるかが、課題です。
仲間の間でもグループホームは、時々話題になる。私のように子供がいなければ、当然この先の事は、考えて置かないとならない。たとえ子供がいたとしても、子供が一緒に暮らせるとは限らない社会状況だ。家族のみをグループと考える社会では、もうなくなる様な気がする。グループでの暮らしが、社会との接点を、的確に持つことが出来るのか。つまり、社会性があるか。この辺りが、肝心だろう。
若者を含みこんだ、グループリビングが、模索できないかと考えている。あしがら農の会の活動の中で、新規に農業を目指す、沢山の青年と出会ってきた。彼らが、一番困っているのは住宅問題だ。彼らに良質な住宅を提供する事を、大切な事業と考える必要がある。ここに住む若者は、一方老人に対し、何が提供できるかも考える。
農産物の提供が、一般的なことだろうが、もっと多様にかかわりを考える事ができるはずだ。付属の田畑の管理というのもあるだろう。若者に相応しい棟の管理を行うというのもある。若者が行う事。年寄りが行う事、ともに暮らすことで、よりよい生活が構築できるはずだ。生産物の販売所、あるいは農産物の加工所、こうしたものを併設する事で、年寄りの活躍の場もあるはずだ。
これらが併設されていて、地域センター機能を持つような、農業系のグループリビングは出来ないものだろうか。こうしたものが、足柄平野に、10棟ぐらいは存在して、お互いのホームを、行き来するような関係は出来ないものだろうか。人間の暮らしは相性が一番深刻だ。他の暮らしを長年してきた者が集まるわけだから、自由度が何より大事だ。季節ごとに、場所を変わるぐらいの方がいい。
国の役割としては、年金での老後の保証をできない以上。こうした自らの自助努力を支援してゆく事が、急務であろう。