松永亭「茶室の検討会」
小田原にある松永記念館には、松永氏の茶室がそのまま保存されています。広間の太い大きな床柱は平等院山門に使用されたとされ、原三溪から贈られたものだそうです。
「葉雨(ようう)庵」 野崎廣太(幻庵)によって建てられた茶室です。
「烏薬(うやく)亭」
「老 欅 荘」
四畳半台目の茶室や三畳大の床の間を設けた広間、母屋に取りつく三畳の寄付などの意匠に数寄屋建築としての特徴が顕著。
東海大学の杉本教授に、最小限の家の視点から、解説をお願いできることになりました。
日程は4月16日に決まりました。
先日、桂離宮の解体修理にたずさわった安井清氏から、南足柄の茶室の説明を頂いた。一緒にお茶を頂き、茶室でご飯を頂くと言う、大変貴重な体験をさせていただいたわけです。この茶室が又、解体材で作ったと言う、一風代わった物でありながら、約束は備えていると言う、面白い物なのです。安井氏がどのように言われるのか、注目の中、にこやかに、穏かに、でも辛らつに、解説くださいました。
お茶では一期一会と言うそうですが、まさに茶席であったから、私のような者にも、等しく素晴らしい機会をいただけたと思います。
そのなかで、最小限の構想を、私からお伝えしました。ところ、実はそうした構想は古くは室町期から、あって、注目すべき要素は茶室の中に、残されている。新しいと思うことでも、繰り返し、試みられている事が普通である。まず、歴史をしっかりと学ぶ事の大切なのだ。と示唆いただきました。
それが、今回の茶室の見学会に繋がりました。小田原にかつてあった、財界の茶人が、どんな物を作ったのか、穏かに、辛らつに見てみたいと思っています。