白鵬のSUMOを世界に広げる活動
2025/07/04
白鵬は「相撲を世界に広げるプロジェクト」「世界相撲グランドスラム」を中心にやっていくそうだ。9日の記者会見で発表した。白鵬杯をベースとして世界中の多くの人に相撲の魅力を伝えたいとのこと。相撲は神事でもあり精神や肉体を鍛え礼に始まり礼に終わる。その魅力は世界の差別や偏見、争いごとを解決する希望を届けられると信じている。と話したと出ていた。
日本の大相撲は世界で広げないで欲しい。日本の古くさいままの伝統芸能のほうが好ましいと思う。時代遅れだから良い。世界に広げたいというSUMOは、モンゴル相撲で良いではないか。白鵬が大相撲を理解しているとは到底思えない。日本の大相撲はスポーツではないので、オリンピック種目にはして欲しくない。
何でも大きくなり、世界に広がれば良いというわけではない。大相撲はアジアの辺境に残った、いかにも日本的な文化の味わいが良い。これは理屈ではない。日本の農耕文化が生み出した、鎮守の森の信仰。原始的な宗教行事が本来の相撲の出自なのだ。
白鵬は礼に始まり礼に終わる相撲を取っていたとは到底思えない。所作も悪かった。言葉だけで言うことはたやすいが、白鵬の行いは、神技から外れることが実に多かった。その自覚がないところが、白鵬の一番の問題なのだ。白鵬のSUMOが日本の大相撲として世界に広がるのは、好ましいとは到底思えない。
やるのは勝手だが、SUMOは大相撲とは違うと言うことは明確にしてほしい。形として相撲に似ているだけでは、神技にはならない。形の仕切りがあれば良いと言うことではない。横綱が、立ち会いから張り手やかち上げをすることは、相撲の精神に反する。横綱に対して、張り手やかち上げするのは尊敬に欠ける。
ルールにないからとやっても良いというのでは、神事ではない。神さまは横綱の精神まで見通しているのだ。確かに大相撲の精神は失われかけている。白鵬に言われなくても危ういところにある。だから、大横綱であった貴ノ花や白鵬を排除しなければいられない、懐が狭くて浅い今の大相撲なのだ。
白鵬は勝てば良いという相撲そのものだった。争いごとを解決する希望どころか、争いごとを生み出す相撲だったではないか。強かったけれども、強いだけでは本来横綱には成れない。横綱にふさわしい人格に与えられる称号だった。もう一度大関までの大相撲に戻った方が良いのではないか。横綱は番付とは別の称号だったのだ。
実際に白鵬宮城野親方の部屋は、おかしな部屋になってしまったではないか。暴力事件が起こるだけでなく、強ければ良いというSUMOになり、見苦しい投げやりの相撲をとる破格の力士がいた。強いけれども、めちゃめちゃな相撲を取っていた。本来ならそれを指導し、まともな力士にするのが親方であるはずだ。
ところが、幕内になってさらに取り口がおかしくなった。勝つもんだからそれでよしと言うことだったのだろうが、我慢できない嫌な相撲だった。辞めさせられたのは当然であった。きっと横綱になっただろうが、朝青龍、白鵬に続いて、またとんでもない横綱が生まれたはずだ。
ここで終わりになって良かったと思った。もしあんな力士が横綱になるのでは、相撲は終わりだと思う。勝てば良いと言うことではないところを理解して貰わなくてはならない。プロレスや総合格闘技とは違うのだ。オリンピック種目とも違う。もちろんモンゴル相撲とも違うはずだ。
相撲をかって広げて貰うのは良いが、むしろ(モンゴル)SUMOにした方が良いのではないか。モンゴルの相撲には、きっとモンゴルの文化があり様式があり、やはり神技なのだろう。それは素晴らしい、美しい世界観がある。戦う姿が、あのモンゴルの平原に溶け込んでいる。文化とはそういう物のはずだ。モンゴル相撲にとんでもない外国人横綱が現われることを果たしてモンゴルの人は喜べるだろうか。
日本の相撲は村の神社で、村の鎮守の森に捧げられる、自然信仰から生まれている。人間を見守ってくれている自然全体、山である。川である。海である。自然に生かされている人間の力を、自然という世界に見ていただくことが、その根底にある。当然強くありたいが、卑怯であることは許されない。
人間が肉体に特化して、純粋にぶつかり合う。そのひたむきさの美しさを自然に見ていただく。自然という人間を取り巻く世界に、人間を示そうとする。それが相撲を神社に奉納したことになる。それは神社にある大きな石を担ぎ上げる行事などと同じ起源のものになる。
野見宿禰の相撲が、日本の相撲の起源とされているが、そうではない。相撲はさらにその前の時代、たぶんアフリカで生まれた人類の起源となる人たちも、行っていたはずだ。人間の力を自然に対して示そうとした戦いである。こんなに強いのだから、獲物が捕れるぞと意気込んで、狩猟に出かける前の儀式だったのだ。
それが長い年月をかけて、何万年前か日本列島に日本人となる人たちがやってきたときにも、すでに相撲の起源となる戦いの神事は行われていたと想像する。それが縄文時代を経て、徐々日本的な相撲になって行く。様々なスポーツ競技はそういう原始的なものから派生したのだろう。
しかし、日本に残った相撲という形は、その中でも最も振るい形を温存した物なのだと思う。村の神社の境内の土俵で裸の男が取っ組み合う。それは神主のような存在が現われる以前からあった土俗的な物と言える。日本の神社信仰が、原始宗教であった時代から行われていた、民俗的な行いだったと言える。
護摩を焚き神様にお伝えする。和歌を朗詠して神様にお伝えする。神輿を担ぎ、境内を回る。相撲を取り神様に見ていただく。すべて日本人が生きて行く為の行い。暮らしを守っていただく自然を敬い、感謝を示す物であったのだろう。それが江戸時代大相撲という興業になる。
江戸時代は各大名が相撲取りをお抱えにしたのだ。停滞した社会だからこそ生まれたもの。各地にそうした大相撲の興行が起こる。そして、明治維新の後、各藩のお抱えだった相撲取りを、日本全国にまたがる大きな相撲興行に仕立て上げたのが、板垣退助と言われている。あえて江戸の風習を大相撲に残した。武士の精神も相撲に残そうとした。
そのことによって、大相撲という現代に残る興業に成長した。そうなった理由の根底には、村で行われていた、鎮守の森の奉納相撲がある。それを忘れないようにしたいという思いが、微かに現代にまでつながった。もう村の奉納相撲が行われている地域は数少ない。
奄美大島には120もの土俵がある。今でも島では奉納相撲が行われているそうだ。のぼたん農園におられた中村さんはくい打ちが素晴らしく上手だった。相撲をやっていたからだと冗談で言われた。奄美大島の方らしい冗談だと思った。他の島でも沖ノ島のように、奉納相撲が残っているところは多い。
昔住んでいた松陰神社のそばの世田谷八幡には奉納相撲があり、東京農大の学生力士が、神社の土俵で取り組みをしてくれていた。我々の時代で言えば、大関豊山である。立派な力士で、現代相撲の精神を現わした相撲だったと思う。双葉山の後の時津風親方になり、弟子を育てた。
名横綱双葉山が時津風親方であり、その部屋に東京農大で学生横綱になり入門し、大関になる。その後時津風部屋を引き継ぐ、双葉山精神というものがあり、双葉山道場と言われた。極めて宗教的な人だった。相撲を人格形成の道と考えて弟子を育てた。ただ、豊山時津風親方もその精神に従い、精神修養としての相撲を行う。しかし、あまりに清廉潔白な相撲が、現代相撲には合わないものだったように見えた。
この時代から徐々に勝てば良いという相撲が広がり始めたのだと思う。八百長相撲問題や、部屋でのしごきでの弟子の死亡事件など、様々な悪弊が広がる。ここに外国人力士問題が、入り組んだ形で始まる。相撲が神技から徐々に離れてきたのだろう。それを何とかしようとした、貴ノ花親方はむしろ自身がむしばまれたように見えた。
白鵬には日本の相撲という物の神技という意味を理解していない。理解していない人が、世界に広げる相撲はスポーツ的なものとしての相撲であろう。その日本の歴史の中で、神社で行われた奉納相撲の素朴で、原初的な魅力に、全く自覚がないと言うところが問題なのだ。
エンターテインメントSUMOUが白鵬が目指す相撲であるのならば、モンゴル相撲ならばそれでかまわないが、日本の大相撲では困る。今の相撲協会も経営には腐心し、都合の良いときだけ、伝統やら文化を持ち出すが、もう一度明治時代に、板垣退助等が目指した、大相撲を学び直して貰いたい。
白鵬は何故日本の相撲協会から、差別的な扱いを受け、排除されたのかが理解できていない。確かに相撲協会の白鵬に対する差別扱いは、ひどい物だった。たぶん司法の判断を臨めば、相撲協会は敗れただろう。大相撲が伝統的なものであるのは良いことだが、その運営が伝統的では現代社会にはそぐわない。
大相撲には現代版板垣退助の知恵者が必要なのだ。相撲の伝統を熟知し、江戸時代の大相撲興行の価値を理解し、現代社会で伝統文化を再構築する手段を考えることの出来る人だ。相撲の力士だけでは、限界である。大相撲の経営に外から人に入って貰うことは、少しも恥ずかしいことではないだろう。