町のお米屋さんが倒産している

   

 

 

町のお米屋さんが倒産しているという。理由は売るお米がないからだという。これは全くおかしな倒産理由だ。お米が2倍以上に高騰して売れないというのもあるのだろう。たぶんそれだけが原因ではない。お魚屋さんというのもなくなった。コンビニでもスーパーでもお米は売っている。今まで良くお米だけでやってこれたものだと思う。

そもそも、スーパーや農協でお米が売られるようになって、町のお米屋さんは苦境に立たされていた。お米屋さんもお米マイスターになることや、機能性の高い精米機械を入れたりして、営業の努力している。それでも私の友人のところは、コンビニに変わり、今も続けている。

一昔前まではお米は食糧管理法に基づき、専売制のもとに配給の権利のあるお米屋さんが、販売をまかされていた。街のお米屋さんは必要かつ地域の老舗が多かった。ところが、消費者が美味しいお米を求めるようになり、お米の品質が改善されてきた。コシヒカリが栽培一番になったのが、1979年である。

しかし、徐々に1960年代になるとお米はスーパーなどでも販売されるようになり、お米屋さんは、大口の食堂や旅館などの大口の販売の方へ営業を広げていった。食べる人の要望に合わせて、お米種類や、産地、の混合比率を変えて、安くておいしいお米を販売する工夫をした。60年代では、まだスーパーのお米は安くてもまずかったのだ。

おいしいお米の食べたい人に対して、お米屋さんで銘柄を指定して、あるいはお米屋さんがその家の好みを把握していて、うまく販売続けていた。それが終わるのは、2000年ごろになり、自由流通米ということになり、食管法が廃止される。このころから、銘柄でお米は売られることが中心になる。

お米屋さんは老舗が多く、資産家だったから営業は続けていたが、むしろ続けていたことで、より苦しくなったのだと思う。早く転職したお米屋さんの方が結果が良かった気がする。独自の販売ルートを維持したお米屋さんもあるが、今度は生産者の人が直売するようになり、弁当屋さんやホテルなども仕入れ先が変わる。

当然のことで、お米屋さんは仕入れたお米を倍に売るのが普通だと言われた。つまり農家が田んぼでお米を作る価格と同じ価格をお米屋さんが取るのだ。これでは到底農家はお米屋さんには売れない。直売すれば半値で売れることになる。大きな稲作農家や、企業的農家は当然直売をするようになる。

1960年代には等しくまずくということが言われていたぐらいだったのだ。それが魚沼産コシヒカリがおいしいので、高い。魚沼から全国にコシヒカリ三倍が広がって行く。こうして銘柄米の流通が始まる。すると当然農家が直売を始め、農協を通さないお米が流通を始める。自主流通米である。味を売りにする、お米マイスターのお米屋さんが登場する。

そして、ついに街のお米屋さんが売るお米を仕入れることが出来ないで、まさかの倒産をする時代が来た。旅館などの販売先を持っていたとしても、旅館が希望する価格では売れないわけだ。この先を考えても、あまりお米屋さんには展望がなさそうである。

石垣島には山田米店という方と、宮城米店という方が、稲作をされている。作って直売をしている。石垣島の農業法人としては大きい方である。新聞に水田貸してくださいと広告を出していたので、印象に残った。これは新しいお米屋さんの展開だと思った。小田原でも米作りをやりたいと、農の会をた詰めて来た方が居た。

今でも米作りを続けてはいるが、大規模農家になろうとはしなかった。農業を広げるより、お米屋さんの営業がうまくいっているので、農家になるような気持ちには成れなかったのではないかと思う。考えたことは同じなのだろうが、それを実行し展開するのはまた人それぞれなのだろう。

お米やさん商売もなかなか難しいが、米作りもなかなか難しい。両方に精通すると言うことはよほどの人でなければ出来ないのではないか。西表島ではお米を島内販売にしようと言うことになったそうだ。大浜農園と言うところがあり、島内の他の農家のお米を購入して、島内で販売するそうだ。お米が高くなり、無くなったためである。

これは普通のことのように見えるが、今まではそうではなかったのだ。西表のホテルも、当然大浜農園のお米を使うだろう。これは観光客には楽しみが増える。西表島で取れたお米が食べられると言うことが、旅行の楽しみである。山猫が来る田んぼで作られた、イリオモテヤマネコ米である。

もっとそういうことを強調して良いと思う。西表の水の良さは桁はずれた。あの原生林のジャングルの水なのだ。他にはないお米である。いや、よく考えれば、全国どこのお米も、そうではないか。生まれた藤垈のお米はそこにしかない。当然そこで暮らしている人が食べるべきものではないか。

地産地消である。身土不二と言う言葉がある。人間の身体はその土地と切り離せないという思想。簡単に言えば、人間樹木説である。人間は移動はするが、移動しているように見えるだけで、その生まれた土地から離れがたいと言うことらしい。ずいぶん遠くにきたもんだ。

石垣島のお米は石垣島で食べるべきだろう。何故集荷して島外に出すのだろうと昔から思っていた。そして島外のお米が島に運ばれてくるのだ。どう考えてもフードマイレージ的におかしすぎる。この流通のおかしさが、農協のおかしさである。何故こんなことになるのかが私には理解できないで居る。

例えば、小田原の桑原のマルマルさんのお米は小田原のAさんが食べる。見える関係の方が良いではないか。せめて、桑原のマルマルさんのお米は桑原の小学校の給食に入れて貰いたい。子供達だって、学校のそばの田んぼで出来たお米を食べれれば嬉しいに違いない。

田んぼに手伝いに来るのも楽しいだろう。生き物観察でも楽しいはずだ。そうして地域で田んぼと給食を通して繋がりが出来る。当たり前のようだが、農協がそれを邪魔をしてきたのだ。小田原で20年前くらいに、今衆議院議員になった佐々木さんと一緒に、小田原のお米を給食にという活動をやった。

農協も地産地消を主張し、学校給食に小田原のお米をと言う、要望を出していたので、農協とも一緒に活動が出来るかと思い、相談に行った。これがとんでもないことになった。私は何とか潰さなければならない、害虫だというのだ。何故同じことを要望しながら、害虫扱いされるのかは分からないまま頓挫した。

このわけの分からない、しがらみというか、因習というか、商習慣というか、複雑怪奇な流通の主張。今もしているが、すべて嘘である。単純に小田原で取れたお米は、小田原の食糧倉庫に、生産者ごとに積まれていた。それを精米して、学校給食の調理業者に出せば良いだけの話だ。

書類だけが、複雑怪奇に何重にも回るのだ。その結果倍になって誰かの利益になる。これが、米の流通のうまみなのだろう。だから、そのうまみを握って放したがらない奴がいる。単純に、素朴に、近所の田んぼから、学校に運んで、調理すれば良いだけのことだ。そうすればお米は半値になる。

正直このように書いても、誰も信じないだろうなと、フェークニュース扱いだろうなと。そう私自身が思う。しかし、これが学校給食米の事実だ。既得権の塊なのだ。これに農協も深く関わっている。政府も関係している。利権の世界なのだ。だから、政治献金もするのだ。

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