古米を悪く言う人へ
おこめを古米だからとって悪く言う人が居る。食べたわけでもないのに、古米に対して暴言を吐いている。食べ物に対して悪く言うことは、特にお米に対しては、昔の日本人は深く戒めたことだ。お米に対して敬意を払わないようでは、日本人として大人とは言えなかった。
お米を作ってきたものとして、暴言を吐く政治家や、評論家の発言には、耐えがたいものを感じる。このお米不足の中、何という発言をするのか、罰当たりな人間に見えてくる。そんな人間にはお米は売ってやらなければ良い。必死に米作りをしてきて、どこかでお米だけは神聖なもので、ただの食べ物ではない。
桑原のある農家のおばあさんは、古るいお米から食べなければ行けない。と言われていた。だから、家族の人が新米など食べたことがないと言われていた。古米から、古米から食べていて、その年のお米までとたどり着けないと言うことになる。お米農家で、それこそ売るほどお米はあるにもかかわらずだ。
お米を無駄にしては行けないという強い思いがあった。何かが起きたときに、一年分くらい、お米は置いとかなければ安心できないという。それはついこの前までの日本人には普通のことだった。いま古米批判の言葉を聞くと、強い違和感を感じる。人間の食べるものでなくなる古米など無い。
その理由はお米に対する日本人の信仰に基づく物だ。お米をご先祖さまにお供えする。神様に奉納する。お米は自分の心を託すことの出来る特別の物だった。だから古くなったからと言って粗末に扱うなどもってのほかのこと。お米が安い時代が続き、そのありがたさを忘れてしまった人が出てきた。
政治家や政治評論家が古い備蓄米を悪く言うのを聞くのは、情けなくて仕方が無かった。食べても居ないのに、まずくて食えないとか、家畜の餌だとか、ケチを付けていた。食べなければ分からないではないか。政府の備蓄米保存庫の管理状態を読んでみたら、これならば十分美味しく食べれると思われた。
これは小泉農政大臣に対するやっかみから出た発言のように聞こえた。小泉氏が備蓄米を神業のように店頭に並べたので、人気者にさせてはならないという、ひがみ根性から出た物だ。いずれにしてもお米を悪く言う。食べ物にケチを付ける奴は許しがたい。郷原、原口、玉木のことだ。この3人をいつまでも忘れない。
小泉氏は良くやったと思う。農協の流通や精米システムが、普通の企業に比べて、前近代的な愚にも付かない物だったと言うことが良く理解できた。農協はしがらみ組織である。その一番が、戦後の食糧難時代からの、配給制度に由来する物だ。足りないお米をどのように分配するか揉めた時代。食管制度の仲卸や流通業者との絡みが出来た。
お米を政府が管理していた。配給手帳と呼ばれていたと思う。都会に働きに来ていた地方出身の方々は、みんな米穀配給手帳という物を持って出てきた。これがなければ東京では就職が出来なかった。私の世代はこのはがきサイズ大の現物にまだ記憶がある。これをお米屋さんに見せて、お米の配給を受けていたのだ。
子供時代の日本は、お米を今の倍か、3倍も食べている時代である。宮沢賢治によると東北岩手では一日3合も食べたらしい。今は一日1合くらいが普通だろう。ご飯をおかわりする子は良い子、元気な子とされていた。肥満児と呼ばれる子供が登場するのはもう少し後になる。
白米は小学校3年生まで、食べなかった。半分近くも麦を混ぜるのである。脚気になるかは白米だけでは良くないとも言うことも言われた。それなら玄米を食べれば良いようだが、当時は燃料不足だから、玄米を炊くと言うことも難しかった。それは平安時代も同じで、昔は圧力ガマもないし。高温は難しい陶器の鍋釜や、せいろを使っていた。
貧乏人は麦を食えと大蔵大臣が発言したくらいだ。敗戦国日本にはお米は足りないし、輸入するお金なども当然無い。美味しいとか、不味いとか、言う前にお腹を一杯にしなければ、働けなかった。学校給食はアメリカがくれた、不味いコッペパンと不味い脱脂粉乳と言われるが、私にはパンをミルクを付けて食べて、それなりに美味しかった。
お米が去年の倍になり、政府は備蓄米を緊急放出した。値段が半分以下なのだから、どんどん売れている。たぶん4年前のお米もすべて食べ尽くすことになるだろう。古古古古米も入札するという。不味いからもう買わないという声はないようだ。半値なら、十分美味しい。回る寿司だって、回らない老舗の寿司屋よりやすいから、美味しいのだ。古米を悪く言う輩はよほどの金持ちなのだろう。
安い備蓄米が出回っても、銘柄米は下がらないのではないかと言う意見も出てきた。日本のお米の生産コストが海外に比べて極端に高いからだ。再生産価格という物があるとすれば、かなり高いはずだ。日本に生産コストが、倍も違う農家がある。大型農家と小さな農家である。政府も大型農家を推奨しているが、構造改革が進まない。
小さな農家の生産コストで、成り立つ米価は5キロ4000円は妥当なのだ。小さな農家が悪いわけではない。それくらい条件不利な農地でも、米作りを頑張ってきてくれたのだ。だから日本の安全保障が守られ、国土の自然環境が保たれてきた。赤字でも続けてくれた。しかもお米が5キロ2000円の安い価格で十分に行き渡っていた。そのことへの感謝は忘れてほしくはない。
しかし、この小さな農家も限界に達し、年々お米農家は減り続けている。農家数は半分以下まで減少した。そして100ヘクタール以上の大型農家が登場している。大型農家は生産コストは旧来の小さな農家の半分以下だ。国際競争力もあるレベルである。大型農家ならば、余れば海外に販売が可能な競争力がある。
ただし、大型農家への集約はなかなか難しい。大型農家は自らの努力で農地を広げているのが、現状である。政府の農地法改正などの本来ならばやるべき、政策による支援はない。政府は小さな農家が票田だからだ。小さな農家の集まりである農協は自民党支持母体である。
自民党には農林族議員というものがいて、この古株が農水大臣になる。裏金キックバックもするし、農協は企業献金もするのだろう。農協は古くさい構造のまま温存されてしまった。世の中の商品の流通には到底追いついていないのだ。農協分割が必要なのだろう。
こうした政治状況では企業的農家が自由に参入して、農地を広げようとしても限界がある。その壁となっているのが、自民党であり、農協であり、小さな農家である。もちろん、小さな農家が悪いわけではない。先祖代々その場所で、日本人の食を食文化を支えてきてくれたのだ。
生産性の向上も農家自身がやれることは、すでに十分にやっている農家が多い。それでも10ヘクタール以下の規模では、生産コストの削減には限界がある。小さな農家と大規模農家の混在する、農地を整理し、水田の耕地整理をしなければ、日本全体の稲作の生産性の向上は図れない。
日本全国で、耕地整理は続いている。しかし、残念なことに政治的な思惑、公共事業のための公共事業になっている嫌いがある。石垣島でも、南足柄市でも、公共事業で耕地整理がされた田んぼが、誰も耕作せず放棄されている。ちぐはぐな状況が、全国各地にあることだろう。
もちろん、政府も良く理解はしている。しかし、小さな農家の協同組合であるJA農協という組織がある。この組織は小さな農家を守るための組織である。最近悪者扱いされてはいるが、そもそもは正義のために出来た組織だっただけに、本当に残念だ。小泉さんが農協の解体、分割、民営化が出来れば、お父さんを越える。
農業協同組合の始まりは、砂糖生産をするときに、砂糖の生産をになう企業が、生産農家をサトウキビやテンサイを買いたたくことが無いように、農業者自身が生産手段の製糖工場を持つとしたのが始まりである。こうして農協という、原材料から製品の生産までを一貫生産する仕組みが出来た。つまり今言われる組合による6次化産業である。
この農協と政府は連携をした。選挙では強力な応援態勢で、自民党を支えた。そして農林族議員を送り出した。そして、1960年代に入ると米価闘争という政府と農家の戦いがおこなわれるようになった。米価を決める時期になると、国会の周りをむしろ旗で取り囲み、族議員が国会に入るのを歓声を上げて応援した。
こうした政治決着が繰り返される間に、米価は生産コストとはかけ離れた政治的な産物になった。しかし、1970年代に入ると、すでに世界の米価格とかけ離れたもになっていた。政府は高い価格で購入して、安い価格で消費者には販売するという、逆ざやと呼ばれる減少になった。
このような歪んだ形で、お米の政策を行ってきた自民党政権であったのだが、いよいよお米が余るようになった。しかし、余っても政府には全量買い取る約束がある。ここで行き詰まる。減反政策が始まる。悪い政策が、さらに悪い政策を産んだことになる。当然の結果である。
お米が余ってもどうにも行き場がない。それくらいなら、お米を作らなければお金を払うという異常な減反政策が始まる。これは政治とは言えないだろう。場当たり的な農家の心をむしばむ、卑劣な政策であった。その卑劣政策の最終目標は、構造改革で、企業農家への転換であった。
まず、減反奨励金で、農家の百姓魂をつぶした。田んぼをやり続ける価値観をみじめなものに貶めた。その政府の罪は大きい。おおむね政府の農業補助金は心をむしばむ。生産性の向上などどこかへ行ってしまう。補助金を貰うために、米作りをする。あるいはしない。ひどいことになって行く。
これで農家の精神が崩壊して行く。日本の食料を支えてきた誇りは失われた。尊いお米が、余り物扱いをされるようになった。しかし、作らなければお金がもらえる。青田刈りという、生長してきた稲を刈り取ってしまうような無様なことが行われた。日本の米農家は変わらざる得なかった。
そして、米作りを自分一代で終わりにするという農家が続出することになる。世間から疎まれる職業に、何故息子や娘にさせられるか。農家にはお嫁さんは来てくれない。すでに半分以下の数に減った。当然お米の生産量も半減した。しかし幸いなことに、日本人は昔の半分しかお米を食べなくなった。
お米が生産量は、消費量の減少でギリギリのところで維持されることになった。しかし、何かがあれば、余裕のないお米は足りなくなる。生産者側から見れば、少し足りないくらいの生産が良い。余れば安値になる。足りなければ価格が上がる。農協としてはその主要組合員である小さな農家を支えるためには、好都合だったのだ。
農協の経営はすでに米農家の維持は、経営としては小さな要素になっている。組合員の減少も困るが、別段米を販売しなければ経営に困るというような組織ではなくなっている。しかし、農協は過去のしがらみから抜け出られない。そのために、緊急時には役立たない、惨めな流通の仕組みを世間にさらすことになった。
お米には罪がない。お米を悪く言わないでほしい。お米ほど素晴らしい物はない。お米があったから、日本という国は出来た。お米があったから、何千年も文化を継続させることが出来た。お米を悪い言った人は反省をして、是非一番古い2020年度ののお米を食べて貰いたい。それほど不味いはずがない。