お米の適正価格

   

 

お米がついに5キロ2000円で売られることになった。2021年米、2022年米などである。古・古・古米。あるいは古古古古米である。2020年米となると、家畜の飼料に回る予定のおコメである。飼料にするなどもったいないことだった。味が悪いだろうとかケチをつける輩がいるが、食べないうちからとんでもないことをいうやつだ。十分食べれる。野党も選挙が気になり、余計なことを言うのは見苦しい。

私の家で保存していたとすれば、もう味が変わり、虫が湧き食べれないお米である。国の備蓄米倉庫は完全空調の虫などわかない保存庫がある。そのことが分かったことは良かった。きちっと保存すれば、5年経ったお米も人が食べれるお米なのだ。これを家畜の餌にするという考えが、間違っていたことが分かった。

これからは5年経過したら、米粉にして備蓄米せんべいにして保存食にするとか、新たな利用法を考えられる。5年経ったお米を食べなければならない時が来るとは、政府も想定外であったことだろう。私も愚かにも、5年経てば人は食べれないだろうと想像していた。大いに反省している。

お米は価格が2倍以上に値上がりした。主食価格が2倍を超えるなど、政府の失政である。自然災害の飢饉ではなく、人災である。だらしない無能な政府をさらしている。食の安全保証。自給率の向上とお題目は政府は繰り返してきた。にもかかわらず、何もしてこなかったということだ。してこなかったどころか、こうなるように、つまりお米が足りなくなるように、政府は農政を進めてきたのだ。

お米の適正価格はどこにあるか。報道はもう慌てて、結論を出そうとしている。30ヘクタールの茨城の農家の方が3500円から4000円ぐらいと言われた。それがニュースで流れていた。正直これでは国際競争力はない。世界の適正価格は2000円から2500円がいいところだ。つまり、日本のお米が世界で売られるときに、そのくらいでなければ売れない価格ということになる。

ということはその半分の5キロ1000円以下で生産できなければ、国際競争力のあるお米とは言えない。すでに国際競争力のある農家が日本にある。今回の米騒動で農家の卸で3000円であれば、ずいぶん利益が出たことになる。まあそんな農家は日本に何軒もないとは思う。

しかし、ある以上やればできる。大型化した圃場整備。農業の構造改革である。これを裏で食い止めてきたのあ、自民党政権である。自民党政権にはJA農協から、政治献金が入っている。そのことで農業政策が明らかに小さな農家の生産効率の低さの改善に、歯止めがかかっている。政治献金の悪い面が米騒動になった。

日本の農家の方が、大企業の社員並みの労賃をもらい、大企業の社員並みの労働時間で、果たして国際競争力のあるお米が生産できるかと言えば、不可能である。日本の国土の条件は、資材価格、肥料価格、農薬価格、機械価格、ガソリン価格、税金、すべてが高めなのだ。そして山がちな国土の条件が決定的である。アメリカと比べれば、日本の大半の水田農地が、条件不利農地ということになる。アメリカで棚田の農業などない。

日本でお米を作るとすれば、国際競争力のあるお米は、何らかの特別な要素を持つ必要がある。中山間地の新潟魚沼地方のお米は特別に「おいしい」。かなりいろいろの国のおいしいというお米を食べたが、日本のお米は確かに一番おいしい。日本人だからということもあるが、海外の人も高くても美味しいから食べたいという人はいる。

お米にはジャポニカ種とインディカ種の地域があるが、インディカ種の地域でも、日本のお米がおいしいというので食べられ始めている。日本のお米の国際競争力は「おいしさ」にある。この特徴をより生かすには、棚田での有機栽培である。確かに生産性は低いが、別格のおいしさがあるから、生き残る道はある。そういうお米は農協とは関係がない。

お米が命のお寿司屋さんのシャリ米は、どこで獲れたお米で、どう保存するかなどすごいこだわりがあるらしい。お米の適正価格は様々なのだ。当たり前のことで、野菜など倍どころか、10倍にもなることがある。それをうまくかじ取りをするのが、政府の主食の管理能力だろう。この能力が低すぎた。

和牛と同じである。アメリカンビーフの5倍もしても、日本でも贅沢をするときには売れている。石垣牛だってかなり高いが、海外からその肉を食べたいというので、わざわざ石垣島に来る人がいる。お米も同じである。おにぎり屋が海外でも成り立つぐらいに日本には美味しいお米がある。ただし価格は高い。

だから、牛肉の適正価格をうんぬんするときに、日本で売れる価格が適正価格が日本における規制価格ということになる。アメリカで売れる価格がアメリカの適正核ということになる。このことを忘れて、冒頭の30ヘクタール農家さんのお米が3500円が売れる価格だからと言って、それはその方の価格に過ぎないということである。

戦後20年間ぐらいは配給米というものがあった。それは等しく不味くするとお米屋さんが言われていた。なんということかと驚いた。父はたまにはお米ぐらい美味しいものが食べたいというので、銘柄米購入することもあったが、普段は配給のお米に麦を混ぜて食べていた。貧乏人は麦を食えと池田総理大臣から言われたのだ。野党議員、古古古米の何が悪いのだ。食べてから文句を言え。

お米は日本人の主食である。これを安定供給することは政府の最重要な役割である。そのお米の安定供給にかかわっているのが、農協である。それは備蓄米の90%以上を買ったということでもわかる。しかも、その購入したお米を何とか価格が下がらないように、流通させた。つまり流通させなかった。そしてつべこべ屁理屈を述べて、ごまかしとおそうとした。

この農協の悪だくみだけは、誰の目にも明らかだ。消費者の怒りは、農協と政治献金に結びついた自民党に向けるべきだ。当然のことで、高く売りたい商品を大量に抱えている人に、備蓄米をすべて渡してしまえば、こういうことになるのだ。そんなことはあまりに当たり前すぎて、備蓄米を放出しても、農協が絡んでいる以上値段が下がらないということは、何度も書いたことである。

でも、単純に農協が悪者かと言えば、そうでもない。農協は悪いも何も、すでにお米について、力を失っている。農協にお米を頼っていたのでは、米づくりを続けられないという所まで、すでにお米農家は追い詰められていたのだ。ある程度能力のある米農家は農協に出さずに、自分で販売する方法を模索してきた。この構造自体が、農協の敗北である。

農協はライスセンターを持ち独自の流通機構も持ち、パールライスを販売してきたのだ。ところが、農協は本気で経営者として、農業者の協同組合の理念を持って、活動をしていなかった。保険事業は不動産事業や金融事業の方に、軸足を移し、日本の主食を守り、農家を守るという協同組合の本筋を外している。

私も長年農協の組合員であり、今も正組合員ではある。一応役員をやらせてもらった。形式的には組合に民主的な仕組みはない訳ではない。しかし、農家の声が組織上部に届くようなものでは到底ない。糠に釘組織だから、よそ者の新参者の私が発言したら、袋叩き似合い、村八分になるなという感じだった。実際に学校給食の小田原産米の納入のことでは、袋叩きにあった。

今回の米騒動では、農協はその経営の無能な姿を天下にさらした。備蓄米を購入して、出し惜しみをしたことが、世間にさらされた。このことで、長年何も考えないで、大切な日本のお米を扱っていたということが分かってしまった。農協にしてみれば、価格維持が使命だと思い、だらだらした方法しか思いつかなかった。

それは楽天やら、ヤフーやら、ファミマと比べれば、どうにもならない商売人であることは目に見えている。小田原では農協の販売部で、資材を購入するよりも、ホームセンターで買えば米袋一つでも価格は安い。何が協同組合だと最初は驚いたものだ。営業努力がないのだ。お役所仕事化しているのだろう。

小田原ではミカンがそうだった。アメリカのオレンジの関税がなくなり、ミカンの販売価格が下がり、売れなくなったことがある。それで結局ミカン減反になった。今までミカン農家は農協に出荷することが当然だった。ところが、ミカン価格下がり、農協はミカンの買取もできない。その時にみんなのミカンをトラックに載せて、直売をして、ミカン農家を助けた人がいる。そして、独自の流通を切り開き農協から離れた組織を作った。それがジョイファームの始まりである。

救われた農家の方は農協を見限るほかなかった。長い地域の付き合いを断ち切らざる得ないような、苦しい決断があった。それは意欲のある、地域の中核のお米農家さんが、農協を離れて、独自販売に踏み切ってゆく姿と同じだ。ますます、小さな独自販売力のない農家だけが、農協に出荷する。大規模なコメの企業農家は独自の販売ルートで始まるので、農協は小さな経営できない兼業農家の集まりにならざる得ない。

米騒動前のコメ価格はかつての政府が価格を決めていた時代の、半値まで下がっていたのだ。以前は米価は政府が決めるものだったのだ。そうして主食の確保に政府も力を入れエイた。もう農家をやってはいけないが、どうしようもないし、ご先祖様の田んぼなのだからやめられない思い。そうして苦しくても続けた小さな農家。

こんな状況でコメ価格がなぜか上がり始めた。農協は操作したわけではない。いよいよ小さな農家が農業をやめて、米が足りなくなってきて値上りを始めたのだ。しめたと考えた農協はこのコメ価格をただ受け入れて、高値が一日でも長く続いてほしいと神頼みをしたのだろう。本来ならば、この機会に農協自らが、日本の米政策を提案すべきだったのだ。それが米農家の協同組合の役割のはずだ。

これで、農協は国民の信頼を完全に失った。購入者から、高値維持のために、備蓄米を出し惜しんだ組織と考えられている。なんという馬鹿なことをしたものか。それはそれでもう仕方がない。今からでも、食糧自給のために、どうすればいいかその仕組みを考えるべきだ。そうして農協をよみがえらせるしかない。政治献金をしているようではそれもダメなのだろう。

結論として、お米の適正価格は、私の場合で言えば、100キロ1万円だから、5キロ500円である。小泉備蓄米よりもかなり安い。これが私の自給価格である。500円でお米が欲しい人は、自分で作ればいい。どれだけ働けばいいかと言えば、一日1時間である。毎日健康体操だと思って、田んぼや畑をやる。

米騒動を機に、自給生活の小さな小さな農家で、やり直してみたらどうだろうか。大規模農家の迷惑にはならない。大規模農家の適地は、自給農家の適地ではない。自給農家は山間の棚田が、適地なのだ。お米1キロ100円自給は楽しい農業である。

 

 

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