ビルゲイツ、鶏を配る。
2025/06/02
紅イモ、さつま苗、のりさんが10日前に苗を取りさした。どうなるのだろうか。楽しみだ。そもそもサツマイモに腹が立つ。薩摩に行く前から、琉球王府では薩摩芋を作っていた。琉球芋と青木昆陽に言ってほしかった。さつまいもは江戸時代の救荒作物だった。
もう10年前になるが、ビルゲイツ氏はアフリカの貧困で食べるものにも困っている人たちに、鶏を飼うように10万羽の鶏を提供した。その結果がとても、興味があったのだが、結果の方は探しても見つからなかぅた。10万羽が10年経ってその成果はどのようになっているのか、ぜひ知りたいところだ。素晴らしい計画だと絶賛したが、出てくる問題も想像できた。
毎年続けているとすれば、その成果はかなりのものになっているはずだ。しかし、アフリカの雛販売業者にしてみれば、ただで配る困った外国人ということになる。この辺をどのようにコントロールしたのかに興味があった。
雛業者と連携してやればよかったと思うが、どんな配布をしたのだろうか。善意の支援であっても成果を上げるためには、それまでの歴史と各国の事情に沿うように行わなければ成果は上がらない。むしろ逆効果さえ起こる。私が目標にした笹鶏の作出は、誰でも飼える自然養鶏用の鶏だった。しかし、残念なことに十分な完成にまで行かずに終わった。
日本にも雛の販売をしているところがある。その業者と地域の行政とが連携し、貧困層に雛が行き渡るようにすることは難しくはない。しかし、日本の貧困層に鶏を飼うことのできる人はまずいないだろう。以前、河原で鶏を飼っていた路上生活の人がいたことはいた。その人は畑まで作っていた。
1日2ドルしか収入がなければ、少しづつお金を貯めて、つがいの鶏を飼いなさいとビルゲイツは主張した。自給農業には鶏が必要だと私は考えていたので、我が意を得たりと思えた。鶏は丈夫だから、初めての人でも飼うことができる。特別な餌ではなく、あるものを餌にできるはずだ。家族の人数だけ鶏を飼うのが、自給農業を可能なものにする秘訣だと今も考えている。
アメリカにはトランプのような独善だけの人間もいれば、ビルゲイツ氏のような慈善事業に熱心な富豪もいる。ビルゲイツさんは死ぬまでに全財産を寄付するつもりだと言われている。2045年までに99%の財産を貧困や感染症対策に寄付すると言われていた。20年は生きるつもりということなのだろう。この点は私と一緒だ。トランプが現れたので、早めたということらしい。ビルゲイツ氏はコンピュター革命の申し子だが、それだけにこの革命の問題点も分かるのだろう。
27兆円の寄付というから、残る1%でも億万長者で暮らすことには問題がない。人間が暮らすということだけなら、それほどのお金はいらない。軽井沢にも別荘があるそうだが、死ぬまで手放す必要もないだろう。死んだときに金持ちが死んだといわれたくないということらしい。そんなことを言ってみたいものだ。
トランプなら墓場までお金を担いでゆきそうである。確かに地獄に行くだろうから、地獄の沙汰も金次第である。どれほど富めるものも、死ねば消えるのみだ。残るのはゲイツ氏に感謝する記憶だけだろう。トランプにひどい目にあったという記憶は世界にくまなく残る。トランプ支持層は利己主義者だから、トランプを恨むことになるはずだ。
ニワトリのことであった。実際にビルゲイツ氏は鶏を飼ったことがあるらしい。ビルゲイツの計画を馬鹿にした人は、鶏を飼ったことのない人だ。鶏は自給自足生活には不可欠なものなのだ。しかも産んだ卵を孵化すれば、永続性がある。その為には、永続性のある鶏種、私の作出した笹鶏を寄付したいと思った。
たぶん、ボリスブラウンが配られたのではないだろうか。10万羽と言えばすごい数だが、その程度の数を購入する養鶏場はない訳ではない。アメリカで用意できる雛をアフリカに送るとしても割合簡単にできるはずだ。10年経過した今、そのビルゲイツの鶏の子孫がアフリカでどれだけ卵を産んでいるだろうか。たぶんほとんど今はいないと想像するがどうだろうか。多分食べてしまっただろう。笹鶏は10年を超えても卵を産む。10羽が何千羽にもなる。
ビルゲイツニワトリの実態は私の調べ程度ではどこにも出ていない。10年前寄付をするという話と、ボリビアが拒否したという話だけが今も残っている。ネット情報というものはそういう偏向がある。一番知りたいのは、ビルゲイツの鶏が、貧困をいくらかでも救済したのかということだ。
もし日本で、10万羽の鶏を新規就農者の中の自給農業希望者に政府が鶏をあげます。と言えば、確かに助かる新規就農者がいるはずだ。一人5羽づつということで、2万軒。日本の自給農業者の数で言えば10年分にはなる。一年2000軒の自給農業者の生活の足しになるならば、私の自然養鶏の本を1冊づつ差し上げたい。本の通りやれば、鶏は間違いなく飼える。農文協も著者割引で協力してくれないかな。
2万軒始めれば、1000軒くらいの自給農業が残るかもしれない。成功率はそのくらいのものだろう。1000あれば、全国津々浦々に自給養鶏が始まる。石垣島にも1軒ぐらい現れる数だ。何かが変わる発端になるかもしれない。アフリカの田舎の実態については、全くわからないので何とも言えない。
わかる範囲で書いておけば、アフリカの田舎は私の子供時代以上に原始的なニワトリの飼い方のようだ。放し飼いが普通らしい。たぶんビルゲイツニワトリはだんだんに肉になったことだろう。雛を産んだ鶏もいたことだろうが、最終的にはアフリカに沢山いるニワトリに混ざってしまったのだろう。それが目標だったのかもしれない。
鶏を購入もままならなかった人にはありがたい贈り物だったのだろう。アフリカでは飼うといっても、そのあたりに遊ばせているらしい。これはいいように見えても歩留まりが悪い。やはり簡単な夜だけの小屋だけでも作り飼う方がいい。餌も自給の鶏もいるらしい。つまりビルゲイツニワトリはアフリカの普通の暮らしに吸収されてしまい、目立つものではなかったかもしれない。
ボリビア政府が拒否したのは、ボリビアがアフリカの鶏の供給源の一つであったから、余計なことをして、雛が売れなくなったら困るということだったらしい。もし供給を毎年続けたら、何かが変わったのかもしれない。よくわからないが、どうも一度だけのようだから、効果というほどのことはなかったかもしれない。
養鶏は未経験者でもできるものだ。丈夫だし、何でも食べてくれる。家族の食品残差とその辺の草だけで5羽ならば飼える。そもそもニワトリがうまく飼えないような人では、自給農業は不可能だから、そこでやめれば、話が早い結論になる。
ニワトリがうるさいから無理だろうと、書いて居る人がいた。そんな人には当たり前だが、自給農業などできない。どうすればうるさく無く飼えるかの工夫がある。この工夫ができないような、発想が固い人では、どうせ自給農業など無理だ。鶏試験と考えればいい。私は、小田原舟原の70戸ほどある住宅地の中で、鶏を飼っていた。鶏がいることを近所の人も気づかなかった。
静かに飼う方法書いてしまえば、簡単なことだが、それは各自が調べて実践する。それで自給の工夫力が高まる。この工夫力が重要なことになる。百姓仕事は、日々の手入れである。ワラ一本の置き方ひとつで、作物はできたりできなかったりする。その観察力を培うことが必要なことだ。
何度も書いたことだが、田んぼの水位を上げてくださいと、元高校教師の人に指導したことがあった。1週間後に行ってみたら、水位が上がっていない。どうやって水位を上げようとしたのか聞いたら、水口で水を増やしたという。それで水尻はと聞いたら、何もしていない。入水口はそのままでいいから、水尻を上げなければ田んぼの水位は上がらないと、話したが。
この人には、自給農業は無理だと思った。一流大学を出て、高校の教師を何年もされていた人だ。話していれば知性豊かな人だ。しかし、自給の工夫ができない。観察能力が少ない。都会暮らしの普通の人はそんなものなのだ。自給農業は誰もができることではない。自分の観念に支配された人には、できないものだ。
最近で言えば、ネット情報に左右されている人には実践はできない。草を取らない。耕さない。肥料をやらない。それで野菜ができると出ている。それなら玉ねぎを作って見てくれといつも言う。それが出来たら、その農法を信じるから。何もしないでもできる野菜も確かにある。ただし、どんな野菜でもできるというわけではない。ネット情報のよさげなところに洗脳されていう人には自給農業はできない。
白紙になれない人には、観察ができない。先入観でものを見る人には、観察ができない。日々の変化を見ることができない。先入観にとらわれていて、発見がないから、観察の面白さも気づかない。観察力を高め、日々の手入れをこまめに行う。不耕起も、無除草も、無肥料もいいが、一番手がかかる農法なのだ。私もそこから始めたのだ。そして、草を取り、耕し、肥料も入れるようになった。それが一番手がかからないからだ。話がビルゲイツニワトリから離れて、しまいそれて終わる。