石垣島エコロード

      2025/05/27

石垣島の北部にエコロードというすごい道がある。一般車も通行許可の道ではあるが、普通に車が通れる道ではない。入り口にゲートがある。途中にはすれ違えない場所が長く続くので、いつも戻る場所を考えて、通行して居なければダメだ。4WD車でなければ、かなり危うい箇所もある。

雨の日や雨の後などは通れないし、戻れないので止めた方が良い。道の上を水が流れている箇所もある。滑って脱輪しそうな箇所もあった。パンクをする車が良くあるらしい。角張った石の上を行かなければならない所もある。もし事故を起こしても、電波の弱い地域で、携帯電話は使えないらしい。

先日、エコロードを走って、ノボタンを見に行ってみた。ノボタンについては石垣島の環境派の人達はどこにでもあると教えてくれる。本当に見てきてそう言っているわけではないのだと思う。私はいうもノボタンを気にしていて、石垣島を絵を描いてきた。あれば気づいているはずだ。

だから、必ずノボタンの群生地はどこにあるのですか、是非見てみたいので教えてくださいと聞いている。のぼたん農園のノボタン栽培のために、いろいろのノボタンの状況を見たいのだ。ノボタンの群生地は簡単には維持できないと言うことが分かってきたのだ。

先日、石垣島の自然を一番知っていると思われる、Aさんからエコロード周辺にはあると聞いて出かけた。確かにあることはあったが、やはり消滅して行く課程の姿であった。ノボタンは丈夫な植物で、どこにでも生えてくる植物であることは確かなのだが、群生して維持されるためには、微妙な条件がある。

だからそもそも、石垣島でも至る所にあることはあっても、群生しているというわけではない。エコロードにあったノボタンは草に覆われて、枯れて行くところであった。平野の牧場の人が、昔はもう少しあったが、今はこの先の多良間田んぼ付近に、わずかに残るぐらいになっていると話してくれた。若い30歳前後の方で、放牧をされていた。

ノボタンは確かに侵略的植物と言われるくらいの強健さがある。世界ではノボタンは熱帯から亜熱帯に広がり、3000種もあるとされる。その中には侵略的と言われるほど広がっている種もあるらしい。ところが、石垣島にあるノボタンの生息条件は意外に狭いようだ。

まず水は比較的ある場所の方がノボタンには良いようだ。しかし、すぐに土は乾居て1週間ぐらいはいた方が良いようだ。だから土壌は石が多くて水はけが良くて、時々は水をかぶるような所が好きなようだ。溜め池や田んぼの畦などでも元気に育っているから、水は好きな方だ。

日当たりは良くなければならない。雑草に覆われてしまえば簡単に枯れる。牧草があれば、負けてしまう。だから、当然牧草地や畑には生えていない。畑の縁や放牧地の縁に残っている。大きな草木が生えていない河原。道路の縁などで、ある程度管理がされているが、管理が徹底はされていない。というような微妙な場所に残っていた。

まさにのぼたん農園はそ言う場所だったのだ。一度放牧地や畑として整地してしまえば、もう再生はしない。草地にするために草刈りをすれば、ノボタンは居なくなる。しかも放牧地の隅に残っていても、牧草が旺盛で覆ってしまえば簡単に枯れる。侵略的と言われるが、弱点も多い植物である。

正確な調査がされずに、石垣島新川に侵略的なノボタンがあるなどとされた、記載も見かけたことがある。ノボタンが残っているのは、石垣島に暮らす人が、ノボタンを美しい花だと意識して、道ばたや畑の隅に残したからこそ残った植物であると考えたほうが良いようだ。

里地里山の植物であったノボタンは、美しい植物を大切にする里地の暮らしがなくなったときに消えたのだ。里地の畑は畑と道路の間に、適度の茂みを残し管理をした。除草剤もないから、そこに出てくる植物を境として残し、畑の風よけなどの管理に利用をした。ノボタンはそういう里地の管理された植物であった。

所が里地の暮らしが失われた。手入れをして、畑の維持を続けるような、手のかかる管理が失われた。除草剤で畑の周りを綺麗にする。ノボタンの花が美しかった。と言うような悠長な感覚は消えたのかもしれない。今ではノボタンと言えば、石垣島でも、シコンノボタンという南米からの遠来の植物が思い出される。

エコロードは明石から、平野の集落までの南海岸に沿っての道路である。実はこう言う不思議な道が、つまりどう言う目的で作られ、どの程度利用されているのか不思議な道路が、石垣島の中央部の山の中の方にも、まだ3本ほどまだある。作られたときはともかく、維持管理が十分はされない。

何故こんな道を作ったのか、それぞれに不思議なのだが、いろいろの思惑があってのことだろう。離島振興というのは、公共事業が絡んでいるから、こうした道が作られるのではないかと思う。その維持管理も公共事業化できる。入らないわけではもちろんないのだが、丹沢地域であれば、ここには道はないだろうというような道だ。

以前から多良間田跡地に興味があり、ここには何度か行っている。と言っても島の一番北部の集落である平野まで言ってから、海岸線を戻るように多良間田んぼまで行く。エコロードも、北部はまだ安定している。中間の旧安良部落あたりはかなり危うい箇所がある。

多良間田んぼを復田出来ないかと以前から考えて居るから時々行きたくなる。多良間田は石垣島の農業遺構として忘れてはならないものだと思うからだ。エコロード周囲は石垣島でも一番美しい地域だ。石垣島らしい自然が残っている。川平が有名観光地だが、私は旧安良村あたりが一番素晴らしいと思っている。山から海までのなだらかな広がりが素晴らしい。

かつて村があったくらいだから、それなりの水がある。平地も広がっている。安良集落はうたきもある古い集落だ。田んぼもかなりあったと思われる。安良から多良間田んぼは連なっていただろう。安良集落があったから、多良間田んぼは可能だったと考えたい。多良間からで作りに来た人と、安良集落の人たちとの関係は興味深い。

多良間島から、石垣島まで、小さな手こぎの舟で50キロも公開をしてやってきて、出作りをしていた田んぼなのだ。いくら多良間島に水がないからとは言え、年貢米の上納のために、無理矢理作らされた田んぼであった。自分たちが食べられるお米ではなかったはずだ。

この琉球支配、島津藩支配、そして江戸幕府支配という、がんじがらめの支配構造が、南の多良間島まで及んでいたのだ。支配されながらも、多良間田んぼで頑張って働いた人たちがいた。抜けるように青い空、エメラルドグリーンに透き通る海。この景色を見ながら、遠く多良間島を思ったことだろう。

その悲しい歴史を思うと、思わず涙が流れるほど辛くなる。人頭税はどうしてもお米が出来ないと、布を上納した。この布が江戸幕府も驚かせるほど素晴らしいものだったのだ。ここには八重山上布の驚くほど繊細で美しい布が、悲しい歴史を残こしている。

エコロードのことだった。エコロードには橋が2カ所ある。橋で渡る必要がある川が2本あると言うことになる。この橋より下に広がる所に多良間田んぼはあった。その2カ所とも現在何もされては居ない。造成中の放牧場が一つあるのかもしれない。しかし、それも止っているようにも見えた。

なだらかに海まで降りて行ける。海には島がある。その美しさは石垣島一番だと思う。明石に近づくと、馬と牛の放牧場に入る。車の回りに馬が逃げずに居る。牛も放牧されている。触れるように近く観光客が来ている。口蹄疫のある中国や、韓国からの観光客は口蹄疫のウイルスを持っているかもしれない。人ごとではなく心配になる。

せめて口蹄疫の危険があるので、牛馬には絶対に触れないように。餌など間違っても与えないようにと入り口に書いてほしい。嫌むしろ、極めて危険な牛なので、怪我をするので、車から降りてはならない。窓は開けてはならないという記載の方が良いか。中国語、韓国語、日本語で。

 

 

 

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